『美女と野獣』(映画)──「やっぱり見た目が大事?」という展開への賛否

昨日の21時からフジテレビ系「ゴールデンシアター」で放映されたのを観た。もともとディズニー作品は嫌いではないのだが、基本的には子ども向けのものが多く、そのためこの作品も長く見逃していたのだ。評判も良かった作品でもあり、いい機会なので鑑賞してみた。

ディズニーならではのフルアニメーションを久しぶりに堪能させてもらった。アニメを観るといえば、日本製の「リミッテッドアニメーション」ばかりだったし、宮崎作品もフルアニメーションといえなくもないが、それでも完全な「フル」ではないはずなので、改めてフルアニメーションの魅力を再確認することができた。(といっても、日本の「リミッテッドアニメーション」にも独自の魅力があるのだが。)

また、あまり言及されることはないが、日本語版の出来栄えもすばらしい。こういったミュージカル作品の場合は、テレビとはいえ、原語+字幕という選択肢もあり得たはずだが、きちんと日本語訳詞で歌い上げている点は評価に値する。山寺宏一、江原正士、熊倉一雄各氏の出演も声優ファンには嬉しい限り。

というわけで、基本的は素晴らしい出来栄えの作品といえるのだが、見終わったあとに「ちょっと待てよ」と思ってしまった部分があったので、ここで触れておきたい。

まず、人を外見で判断したことの報いとして「野獣」の姿に変えられているわけだが、「罪」に対しあまりに「罰」が重すぎないか、という点。

もっとも、ただの「ものがたり」にこのような「法的観念」を持ち込むのは野暮というものかもしれない。

次に、物語の最後に「野獣」の魔法が解けて元の王子の姿に戻るという展開には違和感を感じてしまう。

主人公は野獣の「外見」ではなく「心」を愛していく、というお話であるはずなのに、それが最後に覆ってしまう。「結局見た目かよ」とツッコミを入れたくなってしまうのだが、逆に「外見」ではないなら王子の姿になってもいいではないかということになるので、これはこれでいいのかもしれない。

「望めば王子の姿に戻れるが、彼はあえて野獣の姿のままでいることを選択する。それが女の愛した姿だったから」という流れが自然に見えるのだが、今となっては逆にこの方がありふれていてつまらないかもしれない。

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