『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(映画)──「破」壊したもの、しなかったもの

サブタイトルに「破」とあるとおり、新劇場版の物語の山場であり、「破」壊のシーンが印象的な作品であった。

しかし、「破」壊したものと同時に、「破」壊しなかったものに目を向けることで、本質が見えてくるような気がする。

『序』で予告されていたように物語は「破」綻し、まったく新しいストーリー展開になるかと思いきや、これは見事なミスリードで、基本的なプロットは、意外にもテレビシリーズを踏襲したものであった。

問題は、テレビシリーズを踏まえたうえで、何が変わって、何が変わっていないかだ。

ひょっとすると、「『エヴァ』は暗い物語」という印象を持つ人の中には、今回の能天気な学園シーンに、旧作とは異なる“パラレルワールド”的な世界観を見出すかもしれない。

しかし、旧作は決して一面的なものではなく、第七話〜第拾壱話あたりで展開されていた陽気なシーンも『エヴァ』の魅力であったのだ。

だから、旧作の世界観をただ「破」壊して、新たな物語を構築したわけではない。

が、その一方で、キャラクターの性格づけや、参号機の“搭乗者”などが微妙に(いや、大きく)変更されている点にも注目したい。

この変更が意味するところは何か。

旧作が「自己啓発」「自分の存在意義への気づき」などといった意味を持っているとすれば、今作では「他者とのコミュニケーション」にスポットを当てているようにも思える。

これは、旧作のテーマを変更したというより、深化させたといったほうがいいかもしれない。

とはいうものの、新劇場版が持つテーマの考察は、4部作が完結した後におこなうほうがよいだろう。

今はただ、優れた映像作品に身を委ねることで得られる生理的快楽を堪能すればよいのだ。

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