〈絆〉といえば、日本漢字能力検定協会が2011年を表わす漢字として発表したもので、なんとなくプラスのイメージを持つ人が多いかと思われます。
しかし、〈絆〉ということばを辞書で引くと(1)馬の脚などをつなぐなわ(2)足かせや手かせ(3)自由を束縛するもの──と記されています。
これを「マイナスのイメージ」とまで断言していいかどうかはさておき、無条件に受け入れていいわけでもないことがわかります。
さて、〈絆〉ということばで個人的に思い浮かべるのが、『エヴァ』に登場する綾波レイのセリフです。
映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の終盤、決戦に向かう直前に、碇シンジと綾波レイがこんなやりとりをするシーンがあります。
シンジ「綾波は何故エヴァに乗るの?」
レイ「…絆だから」
シンジ「絆?」
レイ「そう…絆」
シンジ「父さんとの?」
レイ「─みんなとの」
シンジ「強いんだな…綾波は」
レイ「私には他になにもないもの」
このシーンは旧世紀版から踏襲されているもので、物語の序盤で強く印象に残るシーンです。
綾波の〈絆〉は、日本漢字能力検定協会が言うところの「プラスのイメージ」の〈絆〉でしょう。
しかし、〈絆〉には「マイナスのイメージ」があると知った今、この綾波のセリフも違った意味が出てくるのではないでしょうか。
つまり、綾波にとっては、エヴァに乗ることは「足かせ」であるというのです。
『新劇場版』はまだ未完の物語であるため、ここからは旧世紀版に限定して論を進めます。
旧世紀版『エヴァンゲリオン』は、「碇ゲンドウの“あやつり人形”として行動していた綾波レイが、自我に目覚め、みずからの意思で生きることの大切さを学んでいく物語」と解釈することができます。
自己を確立し、他人との衝突を恐れず、自分で物事を決める──これが『エヴァ』のテーマです。
他人との衝突を恐れるあまり、「自分と他人との境界をなくしてしまおう」というのが、かの有名な〈人類補完計画〉で、『エヴァ』はテレビ版・劇場版を通して、これを否定する物語であるわけです。
これをふまえると、〈絆〉というのは、ある意味で〈人類補完計画〉に通じる概念であり、『エヴァ』においては、否定されるべきことばと考えることができます。
綾波がこのセリフを口にするのは、物語の序盤であり、綾波の自己がまだ確立していない時期である──という点がポイントです。
つまり、『エヴァ』は、「父さん」(=碇ゲンドウ)や「みんな」との〈絆〉(すなわち〈足かせ〉)から、綾波が解放されていく物語であると見ることができるのです。
そう考えると、じつによくできた物語というか、終盤の伏線がこんなところにも張られていたのかと、あらためて驚嘆することしきりです。
先にも触れたように、これはあくまで旧世紀版の話であって、新劇場版も「綾波が自己を確立していく物語」になるかどうかはわかりません。
ただ、旧世紀版と新劇場版とで、根本的な思想は変わっていないはずだという期待を込めるなら、このシーンでの〈絆〉は、新劇場版においても、やはり「マイナスイメージ」の〈絆〉であると解釈するほうが自然な気がするわけです。
「絆」の正体が良く分かりました。
私も以前から違和感を感じていたので同感です。
エヴァンゲリオンに関してはさしたる意見は無いのですが。
たまたま農園さんこんにちは。
コメントありがとうございました。
ちなみに、〈絆〉の本来の意味について気づかされたのは
『読売新聞』のコラムでした。
これもなんだか意外です。