『ドッグヴィル』(映画)──“人間の本質”を炙り出す表現形式 2004.11.22 映画・テレビ だだっ広いスタジオの床に道や建物の境界を表す線がひかれている。少しばかりの小道具として椅子や机、ピアノなどが置かれている。この映画の3時間という長い物語が展開するのはそんな場所だ。実に珍しい趣向のこの作品、当初は、劇場で演劇を観るようなものかなと思ったが、映画である以上、フレームや編集という要素が入
『パラドックス大全』(本)──本質を見抜くための訓練本 2004.11.22 書籍・雑誌 一見、まったくわれわれの人生には関係ないような論理のパズルを愉しむ娯楽本という趣。だが、本書で扱っている考え方は実は日常生活にも役立つのではないかという気がしてくる。“本質”を見抜く目を養うことにおいてだ。われわれは日々さまざまな情報に曝されているが、そこに隠された欺瞞、嘘、偽善を暴く能力を身につけ
『ソウ』(映画)──キミは“ゲーム”に勝てるか? 2004.11.17 映画・テレビ ひとつゲームをしよう。ルールは簡単。1時間43分の上映時間中に“真犯人”を当てる。なに、“殺人”を強要される主人公たちに比べれば気楽なものだ。だが、制作者たちの思惑より先に観客が真相を知ることは難しいだろう。もちろん、犯人当てのための材料はすべて劇中に提示されているから、理論的には不可能ではない。だ
『キューティーハニー』(映画)──「不自然さ」を突き詰めると「絵に描いたような」ヒロインが完成 2004.11.13 映画・テレビ たとえば、これはあくまでアニメではなく実写である、というのがひとつ。そして、大昔を舞台にした時代劇でも遠い未来を描いたSFでもないというのがもうひとつ。どう考えても「不自然」な作品にならざるを得ない要素が目白押しである。ここでいう「不自然さ」とは、荒唐無稽だとかリアリティがないということでは
『キル・ビル Vol.2』(映画)──「長いひとつの映画の後半部分」という側面をどう見るか 2004.11.13 映画・テレビ 『キル・ビル』シリーズはもともと長いひとつの作品だったのを製作中に前後編に分けられたことはよく知られている。本作品の鑑賞にあたって、この事実をどう見るかだ。「元はひとつの作品なんだから、テンポ、テイストは統一すべき」なのか、「いや、製作事情はどうあれ、別の独立した作品として考えるべき」なのか。それに