小説の参考にするため横浜の洋館に行ってきました

現在制作中のホラー小説のプロットに「洋館で戦う」とありましたので、横浜の洋館に取材に行ってきました(といっても、デジカメで写真を撮っただけですが)。
当初は、『バイオハザード』に出てくるような洋館をイメージしていたのですが(同じホラーですし)、個人の邸宅であんなデカイ建物はないでしょう(そもそも日本じゃないし)。
いや、あるかもしれないけど、リアリティがない。
といっても、リアルな小説ではないので、あんな洋館でもいいのだけれど、ここはなるべく現実的にいきたい、ということで、実際の洋館をモデルにすることにしました。
今回訪れたのは、べーリック・ホール。イギリス人の貿易商・べーリック氏のお家を再現したものです。
十分な豪邸ではありますが、たとえば『名探偵コナン』の舞台になる洋館などと比べると、こじんまりしています。
やはり作品に登場する洋館は、フィクション上の誇張が入っているわけです。そのことがわかるだけでも、実際に足を運んだかいがあったというものです。
すでに陽が傾いていたので、写真が全体的に暗いです。また、何かのイベント中でお客さんがいっぱいいたので、満足のいく構図では撮影できませんでした(たとえば、一番広い居間は撮れなかった)。
ですが、洋館に興味のある方の参考になれば幸いです。
●建物の外観
Ing2012112601
▲この日はコンサートが開かれていました。
●食堂
Ing2012112602
▲『バイオハザード』はこの部屋が発端でしたね(なんとなく似ています)。
●暖炉の上の燭台
Ing2012112603
▲いかにも洋館という雰囲気のアイテムです。
●階段
Ing2012112604
▲下から撮りたかったのですが、人の行き来が激しく残念。この1枚も奇跡的に人が写っていません。
●廊下
Ing2012112605
▲建物の大きさの割には狭い感じがしますね。もっとも廊下なんて歩くだけですから、広さは必要ないのでしょう。
●主人寝室
Ing2012112606
▲エリック氏の書斎ですかね。机の上にタイプライターがありますので、ここでセーブができそうですbyバイオ厨。
●令息寝室
Ing2012112607
▲子ども部屋です。このまま自分の部屋にしたいくらいです。
●夫人寝室
Ing2012112608
▲上の子ども部屋もそうですが、部屋全体のカラーリングが芸術的ですなあ。
※横浜にある洋館めぐりプランなどは下記のサイトへ。
山手西洋館│横浜市緑の教会

ぎゃふん工房のブログのマイナーな検索キーワード

ぎゃふん工房のブログを訪れる人は、どんなキーワードで検索しているのか。ツールバーの「検索フレーズランキング」でわかるようになっていますが、今回はランキング外から、興味深いものを選んでコメントをつけていきましょう(ここ3か月のデータをもとに集計)。
ちなみに、この企画は「編集者の日々の泡」 というブログのパクリです。


◆54人女子高生殺人サークル動画
◆女子高生集団自殺
◆集団飛び込み自殺
◆女子高校生 集団自殺 DVD
◆54人 女子高生
◆女子高生 集団飛び込み

なんとも剣呑なキーワードが並んでおりますが、これは園子温監督の『自殺サークル』を目当てにしたものだと思われます。
少し古い映画なので、ブログで書いている人は少ないのかも知れません。
『自殺サークル』──〈無関係〉という〈関係〉がある[再レビュー]
『自殺サークル』(映画)──女子高生54人が集団飛び込み自殺をする冒頭が圧巻

◆内海幸枝

内海幸枝は、映画・小説『バトル・ロワイヤル』の登場人物。このココログ以外に、FC2ブログのほうでも、このキーワードで検索してくる方がいます。
しかし、なんで内海幸枝なんでしょう。主人公の七原秋也とか中川典子ならわかるのですが。
【戦争と平和】『バトル・ロワイアル』を見ながら〈集団安全保障〉を考える

◆アレクサンドラスタンおっぱい
◆綺麗な女体ヌード
◆エヴァンゲリオン 新劇場版 序 綾波 裸 画像
◆バイオハザード5シェバ 全裸
◆世良真純の全裸
◆エヴァンゲリオンのあやなみレイのおっぱいまるだしのシーン
◆バイオハザードオペレーションラクーンシティー 全裸エイダ
◆シェバアローマヌード
◆アシュリーグラハム全裸画像

ちょっと! うちにはお下品な画像は置いてないざますよ!
アレクサンドラ=スタン「ミスター・サクソビート~恋の大作戦~」──カッコいいのにあどけない
「私を見て!ヌードのポートレート」「オノデラユキ 写真の迷宮へ」を見てきた
【声優学入門】『名探偵コナン』の世良真純のキャスティングに腰が抜けました
綾波レイの「絆だから」というセリフの真意がわかった
【声優学入門】『バイオハザード オペレーション・ラクーンシティ』の日本語版キャストが完全判明!──レオンとエイダの声優さんに注目
【声優学入門】クリスとジルの日本語版キャストがハマりすぎて怖い──『バイオハザード リベレーションズ』
【声優学入門】もしも『バイオハザード4』の日本語版を作るとしたら?

【声優学入門】『名探偵コナン』に登場する安室透の声優が古谷徹だとっ!?

アニメの『名探偵コナン』には、「登場人物の声を一瞬でも聞けば、(原作を読まなくても)誰が犯人が一発でわかる」という法則があります。

これについてはいずれあらためて説明したいと思いますが、ストーリーを追いながら、「このキャラクターの声優さんは誰だ?」とキャストを想像しながら鑑賞するのも、アニメ「名探偵コナン」の楽しみ方のひとつです。

で、先週(9月1日)放送の『コナン』で、安室透という探偵が登場しました。

なんだか怪しい人物が話し始めた瞬間、「ん? これは古谷徹さんでは?」と思うと同時(古谷さんの声は声優マニアでなくても、すぐにわかりますからね)、「安室透」というテロップが目に入りました。

な……ふざけろっ!(いいぞ!)

これでは、池田秀一さんが演じる「赤井秀一」と同じパターンではないかっ!(すばらしい!)

もう、こういう声優マニアにしかわからないような遊びはやめてよね!(もっとやれ!)

でも、これって結構前からニュースになってたみたいですね。とんだサプライズ感が味わえたので、むしろ知らなくて正解でした。

※石田太郎さん演じるアメリカの探偵が「うちのカミさんがね……」などと言い出すなど、アニメ「コナン」は、“けしからんネタ”が満載のアニメです。

郡上八幡に行ってきました

郡上八幡(岐阜県)に行ってきましたので、写真を何点かアップしたいと思います。

郡上八幡を訪れるのは2回目です。しかも、じつは郡上八幡を舞台にした小説を書こうと思い、今回はその取材がおもな目的です。

ですので、写真は郡上八幡の見どころを網羅したものではありません(たとえば、今回は郡上八幡城には行っていません)。

あくでま雰囲気だけでもつかんでいただけたらと思います。

郡上八幡

▲「郡上八幡」駅です。

郡上八幡

▲長良川鉄道の電車です。

郡上八幡

▲運転席です。私は鉄っちゃん(鉄道マニア)というわけではないので、電車の写真は控えめです。

郡上八幡

▲郡上八幡は長良川の支流・吉田川のほとりにある町です。

郡上八幡

▲都会暮らしの身には、緑と水というだけで、心がリフレッシュされます。

郡上八幡

▲郡上八幡の町並みです。写真ではタイミングよく閑散とした感じになっていますが、観光スポットとして知られるようになってきたのか、けっこう人通りと車の往来が激しいです。

郡上八幡

▲町のあちこちを流れる水のせせらぎが心地よい。

郡上八幡

▲〈宗祇水(そうぎすい)〉。いわゆる湧き水が出ているところです。日本名水百選の第1号だそうです。

郡上八幡

▲〈やなか水のこまち(美術館通り)〉と呼ばれる道。裏道みたいな感じの通りです。

郡上八幡

郡上八幡

▲町のあちこちにこういった水のギミックが配置されているのが特徴です。さすが、水の町です。

郡上八幡

郡上八幡

郡上八幡

▲日が暮れてきました。川べりに明かりが灯されて、情感が高まります。

郡上八幡

▲川べりに置かれているのは、これです。

郡上八幡

郡上八幡

▲町のいたるところに施された明かりのギミックにも注目したいところ。

郡上八幡

▲日が沈んだあとも、多くの人が行き来しています。

郡上八幡

▲ただの通りも、昼間とはまた違った顔を見せています。

郡上八幡

▲上の写真の左下にあるギミックをアップで撮ってみました。

郡上八幡

▲上でも紹介した宗祇水の入り口です。

郡上八幡

▲ここにもこんな明かりが置かれています。

郡上八幡

▲宗祇水の夜の様子。どことなく幻想的です。

郡上八幡

▲宗祇水に通ずる〈清水橋〉。ここも雰囲気たっぷりです。

郡上八幡

▲〈やなか水のこまち〉の夜。

郡上八幡

▲郡上八幡の名物「郡上踊り」。夏場の1カ月間、毎晩「盆踊り」が開催されます。お盆の時期は徹夜で踊りが続きます。写真は開催直前の会場。山の上に見えるのが郡上八幡城です。

郡上八幡

▲郡上踊りが始まりました。


郡上八幡は、じつは夜のほうが楽しいということを、前回訪れたときは知りませんでした。

そこで今回は夜の郡上八幡に焦点を当てて、旅行のプランを組みました。

私が書こうとしている小説は心霊ホラーなので、この幻想的な雰囲気を作品に活かせればいいなと思います。

むかし書いた「阪神大震災 ボランティア報告」をアップしてみた(2)

ボランティアの2日目からの活動は神戸市の中央区から長田区に移り、「カンボジアのこどもに学校をつくる会」(JHP)という団体の活動として、「お風呂のサービス」をおこなう。

この「お風呂」は、公園によく見られる、屋根がついた休憩場所を利用したものである。ここを青いビニールシートで囲み、風などでなびかないように石の重しがしてある。出入りする場所にとめてある大きめのクリップも同じような配慮だ。

「ドラム缶のお風呂」というと、お湯を沸かしているドラム缶に直接はいるものを想像してしまうが、ここでは、外のドラム缶2本でお湯を沸かし、それを中のドラム缶に移しかえていくという方式を採用している。

この「お風呂」システムの手順を説明しよう。

このあたり一帯は水道が止まっているが、ただひとつ水がでるここの公園の蛇口からホースを引っぱってきてドラム缶に注いでいく。ただ、この蛇口がやっかいなシロモノで、手を離すと水が出なくなってしまう仕組みになっている。(地震でそうなったのではなく、もとから。)そこで木片で蛇口を固定するといった工夫が欠かせない。(しかしのちにこの木片が行方不明になるというゴタゴタが発生する。)

ドラム缶2本の水がいっぱいになったら、火をたいて温める。しかしこのときの注意は、1本はガンガンに火をたいてよいが、もう1本は比較的おだやかにたかなければならないということだ。結果的には、温度の異なるお湯ができることになる。

なぜこうしなければならないのか。たとえば、両方を同じようにバカスカたいたとしよう。そうすると、あるていど時間が経過すると“メルトダウン”が発生し、とても人間がはいるような液体でなくなってしまう。そうかといって、“メルトダウン”しない程度に火力を調整するのは素人には難しい。また逆に両方チョロチョロやっていると、なかなかお湯が沸かないことになる。そこでその中間をとるべく、ガンガン缶とチョロチョロ缶をつくるというわけである。

両方のドラム缶がいい具合になったら、中のドラム缶にお湯を移していく。湯加減を手でさぐりながら、2種類のお湯を巧妙に混合させていくが、このとき注意しなければならないのは、手をいれたときと実際に全身まるごと沈めたときとでは、お湯の温度の感じ方がちがうということだ。したがって、手をいれてもちょっとぬるいぐらいがちょうどよい。

われわれの陣地の近くでは、自衛隊もお風呂をやっていた。実際に試してないのでよくわからないが、むこうのはまさしくこういうときのために作られたものだから、たぶんこちらのよりは設備が整っているのだろう。

となると、われわれのお風呂の存在価値とは何だろうか。

状況が状況だけに、お風呂に関しては需要超過だろうから、どんなダサイものでも、あるだけマシなのかもしれないが、むこうは夕方くらいに店をたたんでしまうのに対し、こちらは深夜営業、お客が来るまでやっているというところだろう。被災者とはいっても勤めている人はいるのだし、自衛隊の風呂の時間には間に合わないという。

また、自衛隊のほうは有名だから人が殺到していてなかなか入れないが、こちらは無名だからあまり混んでいない。(とはいっても30分から1時間待つこともある。)そして、そのわりにはきめこまやかなサービス。お客様にはたいへんよろこんでいただいているのである。

以上のシステムは、私がここに来る前からほぼ確立されており、あとは自分なりにちょこちょこ改良を加えるていどであった。

ただ問題は、マキをどうするかということである。この問題は常につきまとう。区役所が提供してくれたり、どこかの団体が寄付してくれたりもしたが、やはり使うそばから目に見えて燃料がなくなっていく。そこで、公園のまわりの倒壊した家から木をもらってくることにする。もちろん、勝手にもっていくのはマズイので、壊れかけの家屋を取り壊す作業をしているところにいって、作業中のおじさんにお願いして材木をもらう。また、自分の壊れた家の木を提供してくれた人もあった。

われわれが寝泊まりしているのは長田区役所の建物の中であり、いろいろなボランティア団体の人たちも寝泊まりしているが、私がここにきたときからすでに退去命令が出されていた。それでもなお不法侵入しているわけである。ただし2〜3日もすると、そのほかの団体の人たちはどこかにいなくなり、依然として不法に滞在しているのはわれわれだけになってしまった。

そこでテントを調達してきてお風呂の近くに設置する。テントといっても、よく小学校の運動会などで並んでいるあのテントである。

しかし2月中旬のこの時期、このままでは野ざらしに寝るのと変わらない。あまりにも寒すぎて生命活動にすら支障が生じかねない。そこで発泡スチロールやらウレタンやら段ボールやらで内装を仕上げる。実際に寝るときには寝袋の中で毛布2枚にくるまって、やっとなんとかしのでいるようになるが、私はさいしょ寝袋の中ではなく外にまいて寝てしまい、20年間の人生の中で最も寒い冬を経験した。

お風呂に入りにくるのは、もちろん被災者の人もいるが、どちらかといえばボランティアの人が多い。つまり、ボランティアの1日の仕事を終えた人がかなり遅い時間にやってくるのである。

お風呂を自分でやっていながら6日間ぐらい入浴していない。はじめの2日間ぐらいは気持ちわるいが、そのあとは慣れてしまってけっこう平気だということもここで得た貴重な知識といえよう。そうかといって、せっかく目の前にあるのに全然はいらないのはどうかと思うので、挑戦することにする。

また、実際にお客の立場になってみないとわからないこともあるだろう。その結果、すのこの上のシートは、入る直前にお湯をかけて温めた方がよいこと(お客の立場からみれば「温めてもらうこと」)を知った。そして中と外とでは時間の流れる速さのちがうことも。(そんなに長く入っていたつもりはないんですよ、ほんとに。)

公園にはボランティアの人たちしかいないせいなのか、実際にここに来てから思うのが、意外に明るい雰囲気だということだ。こういうことを言うのは不謹慎なのかもしれないが、キャンプかなにかをやっているような感じなのである。もっと深刻な、あわただしい、有事感のようなものを想像していただけに、落差が大きかったのかもしれない。それは、ときどき訪れる被災者の人と話していてもそうである。

また、ふつうの格好をしているのは被災者であり、みすぼらしい格好をしているのはボランティアの人間である。そもそも、ボランティアと被災者とを区別することじたいがまちがいなのかもしれない。被災者とはいっても地震があったときにたまたまここに居合わせただけのことだ。ということは、ボランティアだからといって、妙に正義感をもつのもの不要であろう。楽しいからやっている。それでいいのではないか。
(1996年2月17日)

むかし書いた「阪神大震災 ボランティア報告」をアップしてみた(1)

1995年の2月9日から16日までの約1週間、私は阪神大震災のボランティアに参加し、そのときの体験談を自分のミニコミ誌に書きました。今回はその原稿をアップしてみます。何かの参考にしていただければ。

「私たちの持っている制度や構造がほとんど機能しなかった時に」「誰もが予想しなかったほどの数の人が被災地に出かけていった」ことは「大震災という圧倒的に『悪いニュース』のなかで」「ほとんど唯一の救いともいえる『良いニュース』であった」(筑紫哲也氏)。では、その活動はどんなものであったのか。2回にわたって報告する。

神戸の空模様は快晴、風もほとんどない。それが地上の建物の様相とは対照的だ。

大地震から1ヶ月以上たっているが、もちろんほとんどの建物は壊れたままあるいは壊れかかったままだ。しかし、ここには生活のにおいがある。生活の音がある。ここが廃虚の街ではなく、人々が今まで暮らしてきた、そしてこれからも生活していく街であることを感じさせてくれる。

中央区役所へ

中央区ボランティアの本部は中央区役所の建物の中にあるが、いわゆる行政府としての「区」とは何の関係もなく、地震のあと、どこからともなく人が集まり、いつの間にか区役所の一室を占領するほどの大規模なボランティア部隊となったのである。

本部には大きなテレビが置いてあり、ニュースやワイドショーを一日中流している。コーヒーやお茶も用意してあり、また弁当やパンなども好きなときに好きなだけ口にしてよいという。この食べ物だけが目的で仕事もせずこの部屋に居座っていた輩もいたらしい。飲み物を注ぐのは紙コップである。水道が使えず食器が洗えないからだ。

ボランティアについての説明もここのリーダーらしき女性から受ける。「被災者の人はソマリアやザイールの難民ではありません。われわれと同じ日本人なのです。『ボランティアをしてあげる』というのではなく『させていただいている』という意識をもって活動にのぞんでください」とのこと。(そうすると、ソマリアの人には「してあげる」という態度でよいのか、ということになるのではと思ったが、それは別問題としておこう。)

[お仕事1]広報紙の配達

一番最初の仕事は、市が発行している広報紙やボランティアが作成した新聞の配達である。

各地区を2人1組のチームでまわる。電車などの交通機関は使えないし、車も神戸市内の道路は大渋滞なので使い物にならない。そこで移動手段はもっぱら自転車ということになる。区役所の所有する自転車は、なぜかどれもブレーキがきかないという“特別仕様”になっていて、歩道が地震のためめちゃくちゃになっており車道を通らざるをえない状況ではたいへん危険だ。

私のチームがまわった避難所は13ヶ所(うち3ヶ所は街頭の掲示板)である。思い出す限り列挙してみよう。

YMCAの建物・いこいの家・老人福祉センター・二宮小学校・神戸女子短大(行吉学園)・光の丘幼稚園・東極寺・入江ビル・神田電子専門学校

小学校・幼稚園といった公共施設が避難所になっているのはわかる。お寺や福祉センターも許そう。でも、ただの雑居ビルのようなところまでもが避難所になっているのは意外だ。(上の例でいえば、「YMCAの建物」などばそう。ここは一階の駐車場(倉庫?)が避難所になっていた。)

広報紙を渡すだけでなく、必要な物資、その他の要望なども同時に聞いてまわる。「お皿がほしい」「洗濯機があれば」「トイレを直して」といった要求が出るところもあったが、ほとんどの避難所では物は足りているという。もちろん、充分ということはないだろうが、とくに困るほどではないようだ。

私の活動した2月中旬というのはボランティアが一番多かった時期らしく、たとえば中央区のボランティアでも人手があまって遊んでいる人も出てしまったらしい。地震直後とはちがって、今はかなり行き届いているといったところだろう。ただ、“御用聞き”はボランティアだけでなく区役所や民間の企業もそれぞれが独自に行っているため、同じ要望を何回も言うわりには、なかなか実現しないという不満が避難所の人から出た。

[お仕事2]物資の配給

2番目の仕事が、区役所の前での物資の配給である。

区役所の前は、JR代替バスの停留所があり、人がかなり並んでいるため、厳密には配給そのものは建物の横で行う。倉庫からパンやオニギリを運んできて、机の上に並べる。

一緒に仕事をするのは、区職員のおじさんとボランティア5〜6名。「オニギリ持っていってくださいよ」と道行く人に声をかける。

私は今日初めてだからよくわからないが、この「配給」は毎日だいたい決まった時刻に行なっているらしい。袋を持参してくる人が多い。「何人家族ですか」と尋ねて、家族の人数分を渡すのである。受けとりに来るのは主におばさんである。正確な数はわからないが、何百食とあったオニギリとパンが30分もしないうちになくなってしまった。

[お仕事3]物資の積み下ろし

さて、次のお仕事である。

「力のある人で手のあいている人はちょっと来て」という招集がかけられた。「力がある人」というところに私が入るのか疑問だが、えいっ、いってしまえ。

まずは「生田文化会館」というところへ向かう。例によって自転車である。やっぱりこれも“特別仕様”。区役所にはまともな自転車はないらしい。今回は男ばかり10人ぐらいの自転車の部隊で走る。ただでさえ車が行き交う中をとばす。危ない。ボランティアやってて事故にあったりしたら、シャレにならんだろうなぁ。

「生田文化会館」までは区役所から10分ぐらいである。救援物資(衣類)がここに届けられており、それをトラックに積みこむ。衣類といっても、段ボール箱いっぱいに詰めればかなりの重量になる。なるほど「力のある人」か……。これはたしかに重労働だ。これを賃金に換算すれば結構いいお金になるのかもしれない。

トラックがいっぱいになってしまったので、いったんトラックは物資の届け先の「湊小学校」に向かう。部隊はふた手に分かれる。「湊小学校」まで行ってそのトラックから物資を下ろす組と、ここに残りトラックが戻ってから物資の残りを積みこむ組。私は前者に加わった。

「湊小学校」があるところは、埋立・開発が行われてから年数がたっていないためなのか、まわりの道路や建物がきれいだ。被害も少ない。さらに、海の近くということもあってか、環境も実によろしい。

前に述べたように、神戸の道路は大渋滞であり、自転車の方がトラックよりはるかに速く着く。トラックが到着するまでもうしばらくかかりそうなので、部隊の同僚たちと話をする。

この部隊の隊長のAくんは、大阪の堺市在住。地震直後に中央区の個人ボランティアに人が集まりだした頃からいるらしい。すなわちもう1ヶ月近くボランティアをしていることになるが、家にはすぐに帰れるので、休養のために少し帰宅してはまたボランティアをするということをくりかえしているとのこと。

この中央区の個人ボランティアというのは、たとえば区が率先して作ったものではなく、全国からやってきた個人が集まってできたものであり、したがっていわゆるリーダーのようなものは存在しない。しかしながら、何週間もボランティアをやっている人と、昨日今日始めた人とでは、仕事の理解度というのは異なってくるし、おのずから「広報の担当者」「救援物資の担当者」というのは出てきてしまう。Aくんもこの仕事のベテランというわけだ。いちおう今のところはそれで何とかうまくいっているが、たとえば芦屋市などではボランティアの秩序がめちゃくちゃになっているという話も聞く。

Aくんの話では、地震のとき大阪もやはりかなり揺れたらしい。関西に住んでいる人は地震そのものを体験したことがないという。関東に住む人ならご存知かと思うが、地震などというのはまさに日常茶飯事であり、ちょっとやそっとでは驚いたりはしない。震度2では気にもせず、震度3だと「あっ、地震だ」、震度4「ちょっと大きいかな」といったところだろう。もちろん、今回のような規模のものが来れば関東の人間でもびびるだろうが、関西に珍しく地震が来たと思ったら今回のような大地震。「とにかく360度全方向にぐるぐるまわった」とAくんはいう。「東京じゃ、1ミリも揺れなかった」と私は言ったが、あとで聞いたところでは、東京でもやっぱりちょっとは揺れたらしい。私が鈍感なだけか……。(でも、そのときは寝ていたのだからしょうがない。)

また、Aくんの知り合いのおばあさんは、地震の直後に間髪容れずホテルに電話して部屋を予約し、さっさと自宅から脱出してしまったという。すごいばあさんもいるものだ。

Bくんは今年高校卒業で、今は大学受験が終わり合格発表待ちだという。その間の暇な時間を利用してボランティアをしているというわけ。

ボランティアをしているのは、やはり暇な大学生・高校生が多いが、社会人の人も中にはいた。もちろん長期間はできず2〜3日の活動だが、少しでも何かお役に立ちたいという。

ボランティアをやっていると、外部からの情報というのはほとんど入ってこない。区役所の本部にはテレビが置いてあるが、仕事中は見られないのであまり意味がない。だから例えば東京で何が起こっているのかということも全くわからない。「救援物資が近頃とどかないなぁと思っていたら、東京も地震でつぶれてた……なんてね」などという冗談も出た。

そうこうしているうちに、トラックが到着。校庭の片隅にシートを敷きそこに物資を下ろす。校庭にはその他にも救援物資が積んである。トラックは残りの救援物資を取りに「生田文化会館」へ戻る。また時間をもてあます。そろそろ日が暮れてきた。そこへ避難所のリーダーのおじさんがやって来る。

おじさんの話では、ここ「湊小学校」に避難している約400人とまわりの住人に救援物資を配っているという。「湊小学校」の隣には大きなマンションが建っているが、みかけからはどこも壊れていないようなので、生活できる状態ではあるのだろう。

400人のところへ、例えば救援物資が100しか届かない状況のときに配給を始めると、取り合いになってパニックになるので、公平に分けられるようになるまでここに貯めておくのだという。今日持ってきた分ではまだまだ足りないようだ。とくに男性用の衣類が不足しているらしい。

今日の仕事はもうすぐ終わりだが、今日一日だけでもいろんな経験をすることができた。ここで「だから楽しかった」という感想を持つのは被災者の人に失礼なのかもしれない。しかし「ボランティアとはどうあるべきか」となると軽々しく論じられる問題ではないが、私は「楽しかった」でよいと思う。妙な正義感にかられて「被災者の人たちのためにボランティアをしているのだ!」という意識が強くなりすぎてもマズイことになりかねないのではないか。

たとえばある地域では、ボランティア団体どうしのナワバリ争いのようなものも生じているという。中央区ボランティアの女性の言葉にあったように「ボランティアをさせていただいている」という意識が大事であろう。「結局は自分のためになるのだ」という視点を持つことが大切なのだ。もちろん、それによって被災者の人たちの迷惑になっては問題だが、今回の活動に限っていえば、ささやかながら神戸復興のお手伝いができたのだから、内心がどうだろうと関係ないだろう。

中央区役所に戻るころには、あたりはすっかり暗くなっていた。勤め先からかえって来る人などで街はごったがえしている。とくにJR代替バスの停留所には長い行列ができている。

街の建物はことごとく破壊されたが、人々の生活は続いている。通勤する人もいるし、学校へ行く女子高生もいるし、恋人だって街を歩いている。神戸は廃虚になって死んでしまったのではなく、今も生きている街なのだ。(つづく)
(1995年7月29日)

バレた場合よりバレなかった場合のリスク──“ザ・カンニング問題”

今は昔、『ザ・カンニング』というフランス映画があってだな、いいとも青年隊が……などと書き始めたんだけど、「デスマ」終了直後で消耗しきっているので、今回はたしなむ程度に。
入試のカンニング問題に関しては、

「これって、〈カンニング防止〉という試験監督業務の怠慢を隠蔽するために、むりやり犯罪に仕立てあげてない?」

などといった意見もちらほら目にするなか、自分なりにコメントを付け加えるとしたら──。

カンニングは見つかった場合のリスク・デメリットもあるけど、じつはやり通した場合のリスクのほうが大きいと思う。

楽しいキャンパスライフを送るなか、ふと頭をよぎる。

──おれは、カンニングによって、ここにいるのだ。この幸福感の基礎にあるのは不正行為。まさに砂上の楼閣。

という罪悪感。

さらに──。

不正は入試のときの一回だけで、あとは真摯に勉学に取り組み、やがて優秀な科学者へ。
そしてノーベル賞なんかとった日には……。

「本日カサの忘れ物が多くなっております」──忘れ物はカサじゃない

「本日カサの忘れ物が多くなっております。お手回り品にはご注意ください……」
雨の降る日に地下鉄なんかに乗ると、こんなアナウンスを聞くことがあります。
カサはつねに“モバイルタイプ”(折りたたみ傘とも言う)を持ち歩き、車内では鞄にしまいこんでしまうため、カサを置き忘れたまま電車を降りることは理論上ありえない私にとっては、じつに無駄な注意です。
ですから、普段はこのアナウンスが流れてきても単なる雑音で、いや雑音であることすら認識しないのですが、ごくまれに「ん?」と思うこともないではありません。
最近では、この種のアナウンスは、車掌さんによるものではなく、あらかじめ録音された音声で流されることが多くなっています。
「本日カサの忘れ物が多くなっております」というけど、ほんとうに多くなっているのか? 実際にカサの忘れ物を調査したのか? 今はまだ午前中だぞ!? こんな短時間に? どんな調査システムを設置しているのだ? もっとちがうところに金をかけるべきではないか!?
……などというイチャモンが頭に浮かんできてしまうのです。
「本日カサの忘れ物が多くなっております」というアナウンスが、忘れ物防止にどれほど貢献しているというのかね? いや、そもそも乗客を幼稚園児扱いして失敬ではないか! 不快な音を聞かされない権利もあるはずだ!
……なんていう“社会科学的”な愚痴は、ホンカツさん(本多勝一氏)や中島先生(中島義道氏)におまかせするとして、ここでは別のアプローチを試みることにしましょう。
「本日カサの忘れ物が多くなっております」とはいいますが、実際にカサの忘れ物の数をその都度、調査しているとは思えません(ほんとうに調査していたらゴメンナサイですが)。
しかしながら、カサの忘れ物を防止することを目的に、このようなアナウンスを流していることは、まあ間違いないでしょう。
一方で、「このアナウンスが流れてきても、単なる雑音で、いや雑音であることすら認識しない」という人がほとんどではないか、という想像も成り立ちます。
となると、鉄道会社の意図はこの際おいておくとして、「本日カサの忘れ物が多くなっております」というアナウンスによって、もたらされるものとは何か。
それは、忘れている何かを思い出させること。
忘れている何かとは、「自分は何かを忘れてる」という事実そのもの。

 吉野家で牛丼を食べながら、ほかのお客さんがオーダーするのを見ていると、「いつものメニュー」が決まっているらしい人が多い。私の隣にすわった熟年男性は、カウンターにすわるなりスポーツ新聞を広げながら、メニューなどチラリとも見ずに「大盛り、味噌汁」と言う。目は新聞に釘付けなのに、右手はカウンターの前の冷蔵ケースにのびて、おしんこの小皿をとりだしている。
[中略]
 人間というものは、いったん習慣がつくと、なかなかやめられないようにできているらしい。コーヒーに砂糖を二杯入れる人は、一杯だけにすると、物足りなく思う。お風呂にいれる習慣がつくと、まっさらなお湯のお風呂がつまらなく感じられる。新聞のすみにある四コマ漫画が休載になると、なんとなく物足りなく思う。
襟野未矢『依存症の女たち』講談社文庫

自分の置かれている状況や生活習慣というのは、なにか特別なきっかけがなければ、意識することはありません。
しかし、それが原因でみずからの健康や幸福を壊したり、あるいは社会レベルの害悪をもたらすということがありそうです。
なにか特別なきっかけ──。
じつはそれこそが「本日カサの忘れ物が多くなっております」というアナウンスなのではないか。
つまり、忘れ物はカサではなく、今は忘れているけど、思い出さなければ、気づかなければ、見直さなければならない「何か」なのです。

歯医者さんで虫歯と「戦争と平和」をからめてみた

本日は、歯医者さんに行ってまいりました。
といっても、虫歯になったのではありません。
私は10年ほど前から、半年に一度、定期メンテナンスのため歯医者を訪れるようにしています(歯医者からお知らせのハガキが来ます)。
個人的な歯並びや食生活も関連するのでしょうが、どんなに一生懸命歯磨きをしても、メンテナンスを欠かせば、必ず虫歯になってしまうのだそうです。
メンテナンスで、小さな虫歯(の素のようなもの)が見つかることがあります。この場合、虫歯になりかけですから、簡単に治療することができます。
このような予防措置を怠り、本格的に虫歯の侵食を許してしまえば、肉体的なダメージを受け、したがって歯も痛くなり、治療のための時間も費用もかかってしまうことになります。
「〈コト〉が起こってから対処するのではなく、日ごろから予防措置を講じておく」という考え方が大切なわけです。
歯医者さんが歯の洗浄をしている間、戦争を虫歯にたとえて考えてみました(治療ではなく洗浄ですから、まったく痛みを感じないのです)。
虫歯になってから(歯が痛くなってから)、歯医者さんに行く人も多いと思います。
これと同様に、われわれは戦争と平和について考えるとき、「戦争が起こったときにどう対処するか」という方向に思考をめぐらせてしまいがちです。
つまり、「戦争」という事態を出発点にして考えてしまうのです。
「戦争」をどう定義するのかはデリケートな問題ですが、かりに「武力衝突」といった意味でとらえた場合、「平和」の観点からすれば、「戦争」は最悪の事態、何かが失敗した姿と考えることができます。
つまり、バッドエンド、物事の終焉です。
虫歯は健康管理の失敗、人生の敗北と言えます。
「戦争」は思考の出発点ではなく、到達点(それも現実化してはいけないもの)と考えなければなりません。
今日の歯医者さんの診察の結果、じつは左側上下の奥歯の磨き方が十分でなく、このままでは虫歯になってしまう可能性が出てきました。
歯ブラシを歯と歯茎に対して垂直にあてなければならないのですが、右側はきちんとできていたのに、左側はおろそかになっていたのです。
歯磨きは毎日同じ作業の繰り返しですから、次第に気が緩んでしまっていたのでしょう。それが今日の診察で判明したわけです。
結局、来月も歯医者に行くことになりました。歯磨きのしかたがきちんと改善されているかを調べるためです。
戦争というものが、地震や台風といった天災ではなく、人間の営みから生まれるものであるならば、〈コト〉が起こる前になんらかの伏線があり、それに適切に対処することで、最悪の事態を防ぐことができるはずです。
本来、最悪の到達点として考えるべきもの(=戦争)を、思考の出発点に据えることは、事態の予防措置を講じる努力を放棄し、結果的にその最悪の事態に到達してしまうことにつながるのです。

「…させていただく」という言葉について書かせていただくけど勘弁していただきマンボでウッ!(歌:田中真弓)

昨年末の大掃除の際、なんとなしにNHKラジオをつけながら作業に勤しんでいると、どこかの会場で行われたアニソンのライブの模様が流れてきました。
水木のアニィ以外の歌手は誰かわからなかったのですが、そのうちのひとりが「今回は○○(ライブの会場がある県)に来させていただいて…」と言っていました。
…来させていただく? 普通に「来て…」でいいんじゃない?
この「…させていただく」という表現を最近よく耳にします。
テレビ番組で映画の告知(宣伝)にやってきた俳優さんとかが「この映画に出させていただいて…」などと言ったり。

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