『アクションゲームサイド』Vol.A発売!──ゲームをより楽しむためにレビューを書こう![番外編]

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自分の好きなゲームについて熱く語るゲーム雑誌『アクションゲームサイド』Vol.Aが12月3日に発売されます。

これは『ゲームサイド』に掲載されたアクションゲームの記事を集めたものです(新作記事もあり)。

ぎゃふん工房は〈「セガ道」師範代〉として、

  • 『ウッディポップ』(セガ・マークIII)
  • 『ベア・ナックル』『ベア・ナックルII』(メガドライブ)
  • 『スーパーワンダーボーイ』(セガ・マークIII)

のゲームレビューをしています。

また、有名クリエイターが名作のイラストを描くコーナー「レトロポリタン美術館」で、

  • 『モンスターワールドIV』(メガドライブ)

のゲーム解説もしております。

ぜひみなさんもこの雑誌をご覧になって、ゲームレビューの書き方の参考にしてください。

……といいたいところですが、私の記事に関しては、ゲームレビューとしては、かなり奇をてらったものになっておりまして、あまり参考にならない気がします。

ですが、ほかの方の記事は、「悪口を言わない」など、 これまで述べてきたような「ゲームレビューの心得」があてはまりますので、お手本になるのではないかと思います。

書店で見かけましたら、ぜひ手に取ってみてください。

文句を言わない──ゲームをより楽しむためにレビューを書こう![8]

「ゲームレビューを書こう」シリーズでは、ゲームの欠点を探そうとしない、まずは目の前にあるものを受け入れる。そんな話をしてきました。

それに関連して、筒井康隆氏の『朝のガスパール』(新潮文庫)に、興味深い記述がありましたのでご紹介します。

この作品は、朝日新聞の朝刊に連載されていたのものです。読者からの投書が作品内に登場するというおもしろい試みもなされています。

作品を批判するネットでの書き込みに対し、『朝のガスパール』の作者である櫟沢(=虚構内の人物)が反論として

自分の口に合わない小説の悪口は際限なしに言えるということをこの男は知らず、それを自分の能力だと思い込んだ。

と述べています。

ここでいう「小説」はそのまま「ゲーム」にも当てはまるでしょう。

ゲーム(に限らず「作品」)の欠点探しは、やりはじめるとキリがないですし、もっとタチが悪いのは、いちおうそれなりにレビューをした気持ちになれる、レビューの体裁は整ってしまうということです。

しかし、そこからは何も生み出されない。ひいては幸福なゲームライフを送ることに寄与しない、ということを銘記したいものです。

もちろん、そうは言っても、欠点しか思い浮かばないゲーム、というのもあるでしょう。
それは、何度も述べているように、そもそものゲーム選びの失敗、審美眼のなさに由来するもので、すべては自分に罪があります。

ですから、そういう場合は「何もしない」という態度をとることも必要なのです。

たし算する──ゲームをより楽しむためにレビューを書こう![7]

第3回で、「ゲームを否定しない。まずは受け入れる」ことが大切だと書きました。

では、与えられたゲームを盲目的に信じなければいけないのかといえば、そうではありません。それでは、主体性のない、ゲーム会社にお金を貢ぐだけの“信者”になってしまい、それはそれで幸せならよいけれど、たいていの場合は楽しくないでしょう。

もちろん、批判は必要です。要はやりかたなのです。

「つまらない」ゲームはもちろんですが、「おもしろい」「満足した」ものであっても、完璧なゲームは存在しないので、何かしらの欠点はあるはずです。

そこで、完璧なゲーム、そのゲームの本来あるべき姿、〈理想像〉のようなものを思い描きます。

「操作性が悪い」といえば、単なるいちゃもんですが、「ボタンを押したときに、〜のような表示が出れば遊びやすかった」など、改善案・代替案を提案してみます。

つまり、〈理想像〉と現実のゲームのギャップを埋めていくわけです。こうすることで、そのレビューでなされた批判は前向きなものになり、ひいては楽しいゲームライフにもつながるはずです。

いわば「ひき算」ではなく「たし算」をしていく。これがゲームレビューを書く際のポイントのひとつなのです。

やる前に決めない──ゲームをより楽しむためにレビューを書こう![6]

「やる前に決めない」──はて? 何を「決めない」のでしょうか?

そのゲームがおもしろいか、つまらないのか、ということです。

とはいったものの、前回の「情報を集めない」と同様、これはなかなか難しい作業です。

そもそも、そのゲームをプレイするのは「おもしろそう」と思うからであり、「つまらなそう」と思ったら、購入しないわけです。

しかし、です。幸福なゲームライフを送るためには、ある程度の努力が必要なのです。

このブログでは、ゲームがおもしろいかそうでないかの根拠は、ゲームそれ自体ではなく、プレイヤーの中にある、という立場をとっています。

プレイヤー次第で、ゲームはおもしろくも、つまらなくもなる、ということです。

ゲームが作られている時点、完成した時点、工場から出荷した時点、雑誌やサイトに紹介記事が載った時点、お店に並んだ時点、ダウンロードサイトに掲載された時点には、そのゲームがおもしろいかどうかは決まっていません。

これらの段階では、ゲームは「おもしろい可能性」と「つまらない可能性」の両方を持っています。

プレイヤーがゲーム機の電源を入れ、スタートボタンを押したときにはじめて、一方の可能性が消滅し、おもしろいかつまらないかが決まるのです。

ゲームをプレイする前に決めてしまうと、本来もっていたはずの可能性がその時点で消滅してしまいます。

「やる前に決めない」とはそういうことです。

ゲームのおもしろさを決めるのは、そのゲームの開発者でも、メーカーの営業担当でも、ゲームショップの店員さんでも、ゲーム雑誌のライターでもない。

あなた自身なのです。

情報を集めない──ゲームをより楽しむためにレビューを書こう![5]

これまで「ゲームの印象を他人に決められる」ことが問題であると繰り返し述べてきました。
じつはここでいう「他人」には、そのゲームを発売するメーカーも含まれるのです。
メーカーとしては、そのゲームの「売り」を宣伝します。ユーザーはそれを見て買うかどうか判断するわけですが、その「売り」の部分さえも、究極的には「他人」による評価になってしまうのです。
個人的な体験を話しましょう。
『バイオハザード コード:ベロニカ』というゲームがあります。ストーリーの途中で、プレイヤーが交代するわけですが、当時、私はこのことを知らず、とてもびっくりした思い出があります。
ただ驚いただけでなく、感動すら覚えました。つまり、知らなかったことがプラスに働いたのです。
それ以来、私はゲームをプレイする前になるべく情報を仕入れないようにしています。
たとえば、10月4日に発売される『バイオハザード6』に関して、ある時期から私はサイトなどをチェックするのをやめました。
事前に情報を仕入れてワクワクするよりも、実際にプレイして驚くほうが楽しいことを経験から学んだからです。
さて、すでにお気づきのように、この方法には欠点があります。
情報を仕入れないとすると、そもそもそのゲームを購入すべきかどうか、どうやって判断するかということです。
ですから、これはある程度クォリティが保証されているゲーム(ここでいうなら「バイオハザード」シリーズ)にしか当てはまらないことではあります。
あとは、ゲームレビューの書き方というより、「おもしろいゲームを選ぶためのポイント」という話になるのですが、それについてはまたの機会にしてみたいと思います。
※文中、『バイオハザード コード:ベロニカ』のネタバレがありますが、まあ昔のゲームということでご了承ください。

反論してはいけない──ゲームをより楽しむためにレビューを書こう![4]

シリーズ第2回で、「レビューを書く前に他人の批評を見ない」と書きました。
しかし、実際は情報をまったく遮断することは不可能で、不可抗力で目にしたり、ついつい評判を調べたりしてしまうものです。
それはそれで仕方ないとして、注意すべきは、いざ自分のレビューを書く段になったときに、それらの反論を書かないことです。
たとえば、「●●●の部分がよくない」という意見を目にしたが、自分はそうは思わなかった。そこで「●●●が悪いという意見もあるが、私はそうは思わない。なぜなら……」といった調子でレビューを展開してしまう場合があります。
しかし、それはやめたほうがいいのです。
その理由は、これも第2回に書いた〈アジェンダ・セッティング〉〈世界の果て〉という問題に関係します。
第2回では、「ゲームに対する印象が他人によって決められてしまう」と書きました。これは、そのゲームが「悪い」という評価を他人によって決められてしまうのは問題だ、ということです。
これをさらに追求すると、「そもそもその点を良いか悪いかを判断すること自体が他人によって決定されている」ということになります。
たとえば、「操作性がよくない」という評価を見て、自分が実際にプレイしてみたら、そんなことはなかった。そこで「いや、操作性は悪くない」というレビューを書く場合がこれにあてはまります。
しかし、操作性に着目している時点で、「他人の土俵に乗っかっている(乗せられている)」ということになります。
ただ、「それのどこがいけないのか?」と思う人もいるでしょう。
「みんなはこのゲームの●●が悪いと言っているけども、私はそうは思わない。だから、プレイヤーによっては●●も楽しめるはずだ」という内容のレビューは、それはそれで存在意義があると考えることもできます。
ですが、ここで述べているのは、あくまで「ゲームをより楽しむためのレビュー」の書き方です。
「どの部分を楽しむか(あるいは楽しまないか)」ということを他人に決められてしまうのは、ゲームをより深く堪能するという観点からいうと、マイナスなのです。
もちろん、これも究極的には、その人の人生観・価値観によって変わってきます。
「他人がおもしろいと言っているものをおもしろいと感じ、つまらないと言われているものをつまらないと思う。それが幸せ」と考えているならば、「反論を書く」のもアリですし、それがよりゲームを楽しむこと、ひいては〈幸福〉につながるのかもしれません。
でも、そうでない人は、他人の評価を否定するカタチで自分の評価を決めてはいけないのです。

まずは受け入れる──ゲームをより楽しむためにレビューを書こう![3]

前回は「ゲームの欠点を探すこと、否定することは簡単」と書きました。
これはゲームに限らず、映画、音楽、本など、どの作品ジャンルにも当てはまるでしょう。
いや、それどころか人間関係においても、この法則は成り立つかもしれないのです。
他人の良いところを述べるより、悪口を言うほうが簡単。いや、まわりにはそういう人が多い。そんな実感はないでしょうか。
このように、人は否定的意見が頭に浮かぶことが自然であるから、逆に意識して対象の良いところを見つけるように努力しなければならない──という理論が成り立ちます。
ゲームに関して言えば、事前に「おもしろそうだ」と思ったからこそ、そのソフトを購入したはずなのです。
だとすると、冷静に分析すれば「箸にも棒にも掛からないほどつまらない」という可能性のほうが少ないのではないでしょうか。
なんらかの興味を持って入手したのなら、どんなゲームでも良い部分を見出せるはず。
このことを肝に銘じておいてください。
「そこまで苦労して『よいところ』を探す必要あるのか?」と思う方もいるかもしれません。
悪口を言うことが、ある種のストレス解消になる人もいるでしょう。
しかし、ここで主張しているのは、あくまで「よりよいゲームライフを送るための」ゲームレビューのススメです。
「あ〜あ、買って損した」とヤキモキするよりは、「予想と違っていたけど、これはこれはこれでいい」と考えるほうが、精神衛生上、何倍もメリットがあるはずです。
どんなゲームにも欠点はあります。でも、それを探すのは、良い点を見つけてからでも遅くない。いや、むしろ欠点より先に良いところを探す努力をするほうが大切なのです。

書く前に他人のを見ない──ゲームをより楽しむためにレビューを書こう![2]

ゲームを購入する前に、ネットのレビューを参考にする人は多いと思いますが、ゲーマー歴30年の当ブログの経験則から断言すれば、それはまったくオススメできません。

これは〈アジェンダ・セッティング〉または〈世界の果て〉と呼ばれる問題が生じるからです。
すなわち、そのゲームに対する印象が他人によって決められてしまうのです。

前回述べたように、そのゲームがおもしろいかそうでないかの根拠は、その作品ではなく、自分の中にあります。

しかし、他人のレビュー(感想)を読むことによって、おもしろさ(つまらなさ)の根拠が自分の外に出てしまうのです。

これはゲームをプレイするにあたり、非常に好ましくない状況といえます。

とくにネット上のレビューは、ゲームに対する否定的な意見が多数派を占める傾向があります。

否定的な意見を目にしながら、そのゲームを楽しむというのはなかなかできるものではありません。

では、なぜ肯定的な意見より否定的な見方のほうが多くなるかというと、人は褒めることより貶すことのほうが得意であり、モノに対する文句・愚痴は際限なく言えてしまうからです。

これはゲームのレビューの話に限らず、みなさんも日常生活においてよく経験することではないかと思われます。

〈ゲームの欠点を並べる=簡単、ゲームのよいところを探す=難しい〉という図式が成り立つので、そのゲームの美点を述べるレビューは、非難するレビューよりも価値が高いと考えます。

ゲームのレビューを書こう![1]──ゲームをより深く楽しむためのライフスタイル

ゲームのレビューを書き始めたのは小学生のときでした。
それ以来、月日が流れ、“ゲーム好きの少年”が“いい歳してゲームにうつつを抜かすおっさん”になってしまった今でも、このブログでゲームのレビューを書いているのはなぜでしょう。
その秘密を探るため、「自分探し」のようなエントリーをこれから不定期連載でアップしていきたいと思います。
といっても、まだ考えがまとまっているわけではなく、ブログの記事を書きながら理論を構築していこうという趣旨です。
これほど長期にわたってゲームレビューを書き続けているからには、自分にとって何らかのプラスがあるはずです。
もっといえば、ゲームのレビューを書くのは楽しいのです。
だから、「なぜゲームのレビューを続けるか」の答えは「こんなに楽しいから、みんなもやってみなよ」という〈ゲームレビューのススメ〉にもなるでしょう。
うまく体系化できたら、記事をまとめて電子書籍などのカタチでパッケージ化したいと考えています。
☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆
といったわけで、初回はまず「レビュー」を始めるにあたり、心構えのようなものを考えてみます。
最初に頭に入れておきたいのが、「ゲームがおもしろいか、おもしろくないか、その根拠は作品ではなく、自分の中にある」という点です。
たとえば、甘いものの苦手な人が流行のスイーツを食べて「こりゃマズイ」と言ったり、辛いものが嫌いな人が巷で評判のお店で辛さ100倍カレーを食して「この店はダメだ」と文句を言ったりしたら、「だったら最初から食わなきゃいいだろ」と非難されてしまうでしょう。
ゲームは、食べ物と同じで〈嗜好品〉です。
つまり、食べたい人が食べたいものを食べる。プレイしたい人がプレイしたいものを遊ぶ。これが原則です。
だから、もしそのゲームが「おもしろくない」と感じたら、その原因はゲームの側にあるのではなく、自分のほう、たとえばソフト選びの段階に落ち度がなかったかどうかをまずは確認する必要があるのです。
そのためには、「自分は何を楽しいと感じるのか」という〈自己分析〉の作業が不可欠となるわけです。