『冬のソナタ』(テレビ)──これはラブストーリーではなくホラーサスペンスである

本作品は純愛物語ではなく恐怖物語である。まずこの前提条件を受け入れるところから始めるべし。「ヨン様フィーバー」だの、「今の日本にはないピュアなドラマ」だのといった前評判に惑わされて敬遠していた人も、この「前提条件」を認識することで、楽しみがぐっと広がるってもんだ。
この作品を「恐怖の物語」と評する根拠は、主人公の男女のふるまいにある。「純愛」「誠実」だと自分では思っているらしい彼らの言動は、実はブクブクに醜く膨れ上がった<自分本位>の塊であり、とうてい現実社会に受け入れられるものではない。「そんなのフィクションなんだからあたりまえじゃないか」「現実とは違う世界を楽しむのがドラマというものだ」という意見もあろう。まったくもってそのとおり。しかし、「フィクションだから現実にはあり得ない」ということができるのは、舞台設定とかストーリー展開に対してであって、登場人物の行動原理にではない。
たとえば『エイリアン』シリーズに出てくるあの異星人に向かって「なんでそんなことするんだ!」と怒る人はいないだろう。『13日の金曜日』シリーズに登場するジェイソンに対して「なんてひどいことを!」と非難する人もいない。初めからわれわれの理解の範疇に収まる存在だとは思われていないからだ。しかし、怪物や殺人鬼に襲われるヒロインのふるまいに対して「なんで気づかないんだ」とか「なんでそっちに逃げるんだ」といった思いを抱くことは必ずしも不自然とは言えないだろう。たとえホラーと呼ばれる作品であっても、そこに登場する人物には、現実世界の人間と同じ「行動原理」が期待されているからだ。
しかるに、本作品の主人公たちの言動は、ホラー作品でいうヒロインではなく、怪物や殺人鬼のそれに近いものがある。ようするに、理解不能。いや、それどころか、主人公たちの言動がまわりの人々の心ばかりか体をも傷つけ、不幸を撒き散らしている。まさに“悪魔”そのものだ。怖い。主人公たちの容姿の美しさがさらに恐怖に拍車をかけている。
さて。ここまでが「前提条件」の説明。本題はここからだ。
誤解しないでほしいのは、この作品に対して「質が低い」とか「観る価値がない」と言いたいわけではない、ということだ。これまで述べてきたように「純愛物語」の体裁をなしていないのは、実は制作者の意図なのではないかと思えるフシがあるのだ。
主人公ふたりのまわりにいる人たちに目を向けて見ると、これがしごくまっとうな、愛すべきキャラクターたちであることに気がつく。もちろん、その言動に歯がゆい思いを抱いたり、思わず「このお人よし!」と突っ込みたくなることはあるものの、「行動原理」はわれわれの理解の範疇だ。
つまり、実はこの作品、主人公ふたりではなく、そのまわりの人々のふるまいを見るドラマ、なのである。主人公たちの“闇”が深くなればなるほど、まわりの人々が輝きを増していく。制作者の真の意図はそこにあったのではないか、と思えるのである。
この作品を「純愛物語」だと捉えて、主人公たちが遭遇する“運命のいたずら”に一喜一憂したとしも、それは観る人の自由。しかし、冒頭でも触れたように、「純愛物語」という看板が一部の人(ひょっとすると多くの人)を遠ざけているのも事実だ。「純愛物語」を装ったまったく新しいタイプの「ホラーサスペンス」と解釈した方が、楽しめる人も増えるだろうし、作品の存在意義も高まるような気がするのだが、どうだろう。
冬のソナタ

【冬のソナタ】監督:ユン=ソクホ/出演:チェ=ジウ・ペ=ヨンジュン・パク=ヨンハ・パク=ソルミ・チョン=ドンファン・キム=ヘスク・ソン=オクスク/声の出演:田中美里・萩原聖人・猪野学・林真里花

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