反論してはいけない──ゲームをより楽しむためにレビューを書こう![4]

シリーズ第2回で、「レビューを書く前に他人の批評を見ない」と書きました。
しかし、実際は情報をまったく遮断することは不可能で、不可抗力で目にしたり、ついつい評判を調べたりしてしまうものです。
それはそれで仕方ないとして、注意すべきは、いざ自分のレビューを書く段になったときに、それらの反論を書かないことです。
たとえば、「●●●の部分がよくない」という意見を目にしたが、自分はそうは思わなかった。そこで「●●●が悪いという意見もあるが、私はそうは思わない。なぜなら……」といった調子でレビューを展開してしまう場合があります。
しかし、それはやめたほうがいいのです。
その理由は、これも第2回に書いた〈アジェンダ・セッティング〉〈世界の果て〉という問題に関係します。
第2回では、「ゲームに対する印象が他人によって決められてしまう」と書きました。これは、そのゲームが「悪い」という評価を他人によって決められてしまうのは問題だ、ということです。
これをさらに追求すると、「そもそもその点を良いか悪いかを判断すること自体が他人によって決定されている」ということになります。
たとえば、「操作性がよくない」という評価を見て、自分が実際にプレイしてみたら、そんなことはなかった。そこで「いや、操作性は悪くない」というレビューを書く場合がこれにあてはまります。
しかし、操作性に着目している時点で、「他人の土俵に乗っかっている(乗せられている)」ということになります。
ただ、「それのどこがいけないのか?」と思う人もいるでしょう。
「みんなはこのゲームの●●が悪いと言っているけども、私はそうは思わない。だから、プレイヤーによっては●●も楽しめるはずだ」という内容のレビューは、それはそれで存在意義があると考えることもできます。
ですが、ここで述べているのは、あくまで「ゲームをより楽しむためのレビュー」の書き方です。
「どの部分を楽しむか(あるいは楽しまないか)」ということを他人に決められてしまうのは、ゲームをより深く堪能するという観点からいうと、マイナスなのです。
もちろん、これも究極的には、その人の人生観・価値観によって変わってきます。
「他人がおもしろいと言っているものをおもしろいと感じ、つまらないと言われているものをつまらないと思う。それが幸せ」と考えているならば、「反論を書く」のもアリですし、それがよりゲームを楽しむこと、ひいては〈幸福〉につながるのかもしれません。
でも、そうでない人は、他人の評価を否定するカタチで自分の評価を決めてはいけないのです。

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