〈基本的人権〉は私たちにとって大切なものです。しかし、最近はこの〈基本的人権〉がないがしろにされています。そこで、〈基本的人権〉の重要性をあらためて考えるために
──なんて書き始めたところでモチベーションは一気にガタ落ちしてしまう。
なんかダサいお(;ω;)
「基本的人権を尊重しろ!」「被害者の人権と殺人犯の人権、どっちが大事なんだ!」「人権派弁護士が何をほざいているんだ?」
こんなふうに「人権」はテレビや新聞を見ていると、毎日のように目にし耳にするのである意味、なじみのある言葉なんだけど──。
もうウンザリって感じだお(p´□`q)゜o。。
このダサダサ感、ウンザリ感を打破するために私は〈人権〉という言葉を別の言いかたに変えてみることにした。
★〈基本的人権〉=〈FHR〉
〈基本的人権〉をこれから私は〈FHR〉(エフ・エイチ・アール)と呼ぶ。
「基本的人権(fundamental human rights)」の頭文字をとったもので、もちろん意味は同じ。たんに言葉を言い換えただけ。
なので、以下〈FHR〉は〈基本的人権〉または〈人権〉と思って読んでください。
★この言い換えによって、どんないいことがあるのか
それは私にもわからない。
いま「意味は同じ」と書いたけど、「基本的人権とは?」(=「FHRとは?」)とあらためて問われても答えるのは簡単ではない。
その答えをこれから考えようというのが、というより、この「考える」ことの楽しさを考えるためのきっかけが〈FHR〉なのだ。
〈FHR〉のすごいところは、歴史的、地理的に広く受け入れられていることだ。
〈FHR〉という概念が誕生したのはおよそ800年前。しかも地球上のあらゆる国や地域で〈FHR〉は使われている。
その意味で、「婚活」「派遣切り」「フリーター」などの新参者とはワケがちがう。ちょっとやそっとでは揺るがない貫録がある。これをうまく使っていけば、いいことがあるかもしれない、という希望に満ち満ちている。
テレビや新聞のニュースで「人権」に触れる機会が多いことからもわかるように、
目には見えないけど、私たちの身近にあることもまちがいない。
社会で起こっているあらゆる問題の理解、解釈、解決にこの〈FHR〉は役立つだろう。
というわけで、このブログでは、このFHRについていろいろ考えながら楽しんでいきたい。
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