東浩紀『一般意志2.0』──ネット上の〈知〉は〈一般意志〉になりえるか?

ここは、「〈国家〉とはいかにあるべきか?」「理想の〈社会〉とは?」といった問いを考え続けているブログなので、「一般意志」という書名に惹かれてつい買ってしまいました。考えてみると東浩紀氏の著書を読むのは初めてであります。

〈一般意志〉といえば、タイトルにあるとおりルソーの造り出した概念であるわけでが、ルソーについて習ったのが高校の授業であり、『社会契約論』は読んだことがありますが、それも10年以上前の話です。

だから、「うん、うん、たしかそうだった」と自分の知識をあらためて確認できる部分もあれば、「あれ? そうだったんだ」と新たな発見もある本です。

著者の主張に共感できるかどうかはともかく、〈国家〉とは? 〈社会〉とは? という考察をしたいと思っている者には、じつに有意義な書物であるといえるでしょう。

「共感できるかどうかはともかく」と書いたものの、「国家の役割は縮小する」という東氏の〈国家観〉は、まさにこのブログが主張していることでもあり、前提条件をスムーズに受け入れられます。

また、〈一般意志2.0〉の実現を「ニコニコ生放送のコメント(のようなもの)」で行なうという“政治システム”も、二コ厨の当ブログとしては、親和性の高い提案であります。

といったわけで、この本の内容に9割ぐらいは賛同できるのですが、まさに「二コ生で民主主義を実現」という部分が、どうしても引っかかります。

ネット上に蓄積されたデータベースを〈一般意志〉と捉えるというのが、〈一般意志2.0〉の概念であるわけですが、そもそもネット上のデータベースに〈知〉はあるのか、という疑問があるのです。

2ちゃんねるあたりに出向いて、ネットユーザーがとくに好きな日韓関係や日中関係について「議論」を交わしてみるとよいだろう──たいていは途中で時間と労力が尽き撤退に追い込まれるはずだ(97ページ)

そもそもたいていのひとはそれほど暇ではないし、通勤時間に新書に目を通すのが関の山だ。国民のほとんどは、時間的にも能力的にも熟議に参加することができない(185ページ)

と東氏自身が述べているとおり、インターネットという手段と通して抽出される〈知〉が、〈国家システム〉を動かすほどのものに成りうるか、言いかたを変えれば、ネット上の〈知〉で〈国家〉を動かしてよいか、という部分にどうしても違和感が残るわけです。

「二コ生」は〈一般意志〉を表出させるためのあくまで補助的な手段であり、またそもそも政治には「熟議」は必要ないと主張している本なのですから、インターネットという手段そのものが問題なのではありません。方法論としては賛同できるけども、実際問題その方法を使って得られる結果が、当初の理念とは異なるのではないか、という疑念があるわけです。

なんとなく〈手段〉と〈目的〉が倒錯しているような印象も受けます。かりに「二コ生」や「ツイッター」で〈一般意志2.0〉を実現することは認めるとして、ではその結果作られる〈国家〉や〈社会〉とはどんなものか、という理念があまり語られていないというのも原因のひとつしかもしれません(先に〈国家観〉に共感できると書きましたが、東氏は他人の理念を援用する形で自らの〈国家観〉を提示しているだけです)。

とはいうものの、「今の政治はなっとならん!」と腹を立てているだけでは、世の中は変わらない、というより自らの〈幸福追求〉には寄与しないわけですから、多少の疑問があろうとも、とにかく手段を提案し実行してみる、という姿勢は大切かもしれません。

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