早稲田大学教授で憲法学者の水島朝穂先生が、ケータイやネットに依存する若者(学生)を批判し、「新聞を読め」と主張されています(10月25日更新の「直言」)。
そのなかで、解剖学者・養老孟司氏による、新聞は「社会の空気を感じる社会の窓」であり、「見出しや写真の大きさによってニュースの大小がわかる」のが(ネットにはない)新聞の持つ機能である、という意見を紹介し、水島先生も同意すると述べています。
私自身もこの考え方には共感できるのですが、こと〈アジェンダ・セッティング〉の観点からいうと、提供する側の価値判断(どのニュースを大きく扱うか)がともなわないという意味で、ネット配信のニュースのほうが優れているのではないか、という気もしてきます。
もちろん、養老氏は、新聞を鵜呑みにするなと言っており、水島先生も批判的な目を養うためにも新聞を読むべきだと述べていますので、このブログが考える理論と矛盾するものではないでしょう。
要は、新聞というメディアに何を期待するかの問題で、批判精神の低い(という人の象徴であるところの)「学生」にとっては〈教材〉で、批判精神を身につけた(という人の象徴であるところの)「社会人」にとっては〈情報ツール〉ということなのでしょう。
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