いま手元に、いささかマニアックなアイテムがあります。
『BIO HAZARD The True Story Behind BIO HAZARD』という小冊子で、セガ・サターン版『バイオハザード』に付属していたもの。ハードカバーの立派な体裁の本です。
ゲームの前日譚や、「トレバーの手記」(!)、設定資料などが収められた、ファンにはうれしい購入特典となっています。
この中には、ディレクター・三上真司氏による「開発秘話」も掲載されています。
ここで三上氏はゲームの音声について、「英語だけでなくじつは日本語ボイス収録も行なった。カッコ悪かったのでボツに」と述べています。
前回述べたように、深作欣二監督の“ダメ出し”にもかかわらず、長きにわたって『バイオハザード』シリーズが英語音声のみだった理由は、ここにあるように思います。
問題は、なぜ日本語音声だとカッコ悪いのか(そのように思えるのか)ということです。
かつてはゲームは、「映画のような完成度」をめざして開発が行なわれていた時期があります。
つまり、「映画のようなゲームは素晴らしい」と考えられていたのです(ひょっとすると、今もそうかもしれません)。
『バイオハザード』は、三上氏が「自分がホラー映画を作るとすれば」という思いを具体的なカタチにしたものと見ることができます(そのように発言しているのを見たことがあります)。
ようするに、『バイオハザード』はゲームというより映画なのです。
さて、映画といえば(それも「ゾンビ映画」に限定するならば)、アメリカ映画でしょう。『バイオハザード』がジョージ=A=ロメロの「ゾンビ」シリーズにインスパイアされて作られていることは、もはや言うまでありません。
アメリカ映画といえば、当然ながら英語音声(日本語字幕)ですから、『バイオハザード』=(日本製)アメリカ映画だとすると、「日本語音声がカッコ悪い」(違和感がある)と感じるのは、当然といえるわけです。
ただし、これはあくまで『バイオハザード』(第1作目)が制作された15年ほど前の話です。
いまや時代が変わりました。
映画館では、アメリカ映画も字幕版・日本語吹き替え版の2種類が上映されるのは当たり前になりました。
家庭用ソフトも、DVDやブルーレイの普及によって、1本のソフトに英語音声・日本語音声の両方が収録されるようになっています。
つまり、「アメリカ映画だから登場人物は英語を話さなければならない」という意識が次第に薄れてきた、といえると思います。
もちろん、鑑賞する側の好みもありますから、ゲームも映画も、依然として英語音声(日本語字幕)で愉しみたいという人はいるでしょう。
また、日本語吹き替えで一度鑑賞したあと、あらためて英語音声で見直す、というのも一興でしょう。いずれにしても、選択肢が広がったということです。
『バイオハザード』もようやくこの時代の流れに乗った、ということになるかと思います。
ただ、時代の最先端を走っていた作品シリーズのはずなのに、いささか遅きに失した感もないではありませんが。
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