ニッポンという名の“シャングリラ”が滅亡──それを阻止するために我々はやってきた

古今東西、数多くの物語で、「かつて栄華を極めたが今では滅びている文明」というモチーフが登場します。
滅びの原因というのは、いろいろあります。戦争であったり、精神の荒廃であったり、それこそ大災害であったり。
あまりに多くの作品で扱われる題材であるため、例を出すのも難しいのですが、『天空の城ラピュタ』なども「滅亡した文明」が語られる作品のひとつでしょう。
この作品で「滅びゆくプロセス」というのは、詳らかではないのですが、過剰に発達しすぎた科学技術がその一因になっていることは想像に難くありません。
さて、現実の世界に目を向けてみると──。


ニッポンという国は、さまざまな考え方はあるとしても、歴史的・地理的にも、まあ「もっとも栄華を極めた社会」ということができます。
しかし、3.11を境に世界は転換しました。
これから、われわれ住む世界がどのような道を進んでいくのか、正確に予測することは難しいでしょう。
ただ、いろいろ想像することはできます。まさに虚構の世界たる物語に入り込んだかのように。
そこで「かつてニッポンという名の“シャングリラ”(桃源郷)が我が世の春を謳歌していたが、あるときから滅びの道を歩み始めた」と考えてはどうか、というのが今回のエントリーの主題です。
「現世がダメなら来世があるさ」といった厭世観を持つのも一興でしょう。
ニッポンはもうダメだ。なにもかも終わった。あきらめよう。ケセラセラ。あるがままに身をまかせよ……。
でも、ここで言いたいのは、そういうことではありません。むしろ、その逆。
「ニッポンが滅亡する」と想像するというのは、「最悪の事態を想定する」ということなのです。
「このままいくとニッポンが滅亡する、と仮定して、ではそうならないために、われわれは何をすべきか、何ができるか」と考えるということ。
ニッポンは、ゲンパツという名の高エネルギー発生装置を使って、文明を発展させていました。
しかし、この装置は、「安全なときは安全だが、安全でないときは安全でない」というシロモノでした。
ある出来事を境に、その真相が白日の下にさらされました。多くの人が「これはやっぱマズイのではないか」と考えました。でも一方で、依然としてこのエネルギー源に固執する人がいる。面倒なことは考えたくないと、目をそらす人もいる。
『天空の城ラピュタ』では、かつての文明が具体的にどのように滅びていったのか、そのプロセスが描かれることはありませんでしたが、「ニッポン」という物語では、まさにわれわれの目の前で、“滅びの宴”の様子が描かれている。
社会の滅亡は、一瞬で起こるのではなく、じわじわと緩慢に進んでいくにちがいない。
われわれは、この滅びの物語を読み終えた(ということにする)。
文明とは、何が原因で滅んでいくのか理解した(という想定にする)。
ここに時間を遡るタイムマシンがある(と仮定する)。
滅亡を防ぐために、このタイムマシンで過去に戻り、歴史を変える(と想像してみる)。
われわれは、未来から現代の人々を救うためにやってきたのだ。
おそらくこの世は、「運否天賦のギャンブル」ではなく、愚図から滑り落ちていく、“気づき”のゲーム。
これからは、社会の状況をもっとよく観察しなければなるまい。個人として何をすべきかもよく考えなければなるまい。
もともとこのブログは「モノを考える場」としても使っているわけですが、これからは以上の視点も加えていきたいと思います。

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