昨日は、「パッと見の印象に惑わされず、本質を見きわめることが大切」であることを学びました。 今回は、『カイジ』シリーズでおなじみ福本伸行先生の『無頼伝 涯』を題材に、「本質を見きわめる」ことの難しさを見てみましょう。
涯は、殺人の濡れ衣を着せられ、更生施設に送られることになってしまいます。
鑑別所から更生施設である〈人間学園〉に向かう前、児童相談所で待機を命じられます。 そこでは、同じように〈人間学園〉に収容される男とともに腰縄につながれ、手錠もはめられています。
しかしながら、〈人間学園〉では、2か月に1回程度の外出・外泊が認められるケースがあり、涯は「手ぬるい獄だぜ」と安心感を覚えます(脱走するのは容易だと思ったわけです)。
そんななか、一緒に腰縄につながれていた男が、〈人間学園〉の主任教官に、弁当を買いに行けと命じます。教官は素直にその言葉に従います。
教官が弁当を抱えて戻ると、男は手錠を外すことを要求。これにも教官は従ったばかりか、お茶まで入れてくれます。
さて、涯が気づくと、知らない場所に自分がいることに気づきます。睡眠薬で眠らされ、その間にどこか別の場所に運ばれてしまったようなのです。そして、先ほどとは別人と化した教官の姿を目にします。
しかも、まわりには銃を構えた男たちがおり、口答えした男に発砲してしまいます。
発砲されたのはゴム弾で殺傷能力はなかったものの、涯は〈人間学園〉がけっして「手ぬるい獄」ではなかったことを悟ります。 たとえば、先ほどの主任教官のおどおどした態度は、この施設の与しやすさ演出するためのものでした。
主任みずから弁当を買いに行ったのは、屈強なガードマン2人を残すことでセキュリティをより高めるためでした。 つまり、崖は目の前で起こっている出来事をそのまま受けれてしまい、コトの本質が見えていなかったのです。
後に〈人間学園〉は、罪を犯した少年を〈人間〉ではなく〈犬〉とした扱う恐るべき更生施設であることが明らかになります。 涯は自身の迂闊さにより、ここで生きることを余儀なくされるのでした。
涯が持ち前の洞察力で〈人間学園〉の罠を見抜いたことは感嘆に値しますが、いかんせん後の祭りです。
逆に考えれば、涯がついその場の雰囲気に流されてしまうほど、「パッと見の印象」はよく整っており、本質を見きわめることの難しさを物語ります。
なお、今回は本筋ではないのであえて論じませんが、殺人という〈罪〉に対する〈償い〉の方法のひとつが、この〈人間学園〉での生活である、という見方もできます(その是非は別として)。
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