〈アジェンダ・セッティング〉とは〈世界の果て〉のことかもしれない

先日、ニコニコ動画のゲーム実況で「グランディア」を見ました。

もちろん、自分自身でプレイし、攻略本も作ったわけですから、物語については熟知しているはずなのですが、またしても号泣してしまいました。

なに、この涙腺破壊力。

他人のプレイにもかかわらず、大切な仲間がパーティから離脱したときの喪失感。

つくづくすごい物語だなと感心することしきり。

これまで生きてきて、さまざまな映画、ドラマ、小説、マンガなどに接していますが、「グランディア」を超える物語に出会ったことがありません。

先日、ブルーレイ版が発売された「天空の城ラピュタ」も、一分の隙もない、盤石なストーリーで知られており、私自身も甲乙はつけがたいのですが、密度と長さという意味で、やはり「グランディア」に軍配を上げます。

ところで、「グランディア」では、〈世界の果て〉と呼ばれる、天にまで届きそうな高さの〈壁〉が発見され、したがってあらゆる大陸・島は調べ尽くされてしまい、「冒険」という言葉が死語になりつつあった世界が舞台となっています。

「冒険者」とはこの世界では、「冒険者協会」に所属し、協会がお膳立てした「冒険」を楽しんでいる人々を指しています。

この設定を十数年ぶりに思い出し、「これって〈アジェンダ・セッティング〉のことでは」と閃いたのです。

〈アジェンダ・セッティング〉という言葉は、私の造語だと思っていたのですが、ジャーナリズム研究などの分野ですでに使われている学術用語だったらしいことは前のtwitterでも書きました。

言わんとすることは共通するので、このまま〈アジェンダ・セッティング〉という言葉を使い続けても支障はないのですが、やはり独自の理論を展開したいので、今後は〈世界の果て〉という言い方に変えてゆきたいと思います。

さて、「グランディア」では、〈世界の果て〉と思われた巨大な壁は、じつは世界を分断していただけであり、壁の向こうにも広大な世界が広がっていました。

しかし、人々は〈世界の果て〉の存在を前提とし、「世界はそこで終わっている」ということを疑いもせず、生活の発展、活躍の場を自ら狭めていったのです。

巨大な壁は、既成概念、〈思考の壁〉の象徴として、ことあるごとに思い出し、戒めとしたいと思います。

以下の画像には「グランディア」のネタバレが含まれます。これからプレイしようと思っている方はご注意ください。

Img_20101226

▲「グランディア」の冒険の舞台。左下が主人公の住む町がある大陸(ゲームのスタート地点)。真ん中を壁が縦断している。人々にとって「世界」とはこの左半分のことだったが、実際は〈世界の果て〉の向こう側に別の世界が広がっていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA