北野武監督のヤクザものと言えば、『ソナチネ』が最高峰で、『HANA-BI』はギリギリ許容範囲だが、以降はマンネリ化が進み、完成度が下がり続けている印象があった。
で、満を持しての新作ヤクザものである。
一見して「これまでとは違う!」と思わせるのは、セリフまわしと、論理的なストーリー展開だ。
まずはセリフまわしについて。セリフ量の多さはよく指摘されているところだ。
「殺すぞ、この野郎!」と凄んだりする場面が頻繁に登場するわけだが、どこか白々しさが漂っている。
こういったセリフまわしが、もはやコメディにしかならないことに監督は気づいているのではないだろうか。
コメディが悪いというわけではなく、これまでの作品のような張りつめた空気を維持するのが難しいということだ。
次に、ストーリー展開だが、論理的というより単純な明快で、このあと何が起こるかが簡単に予想できてしまう。これまでの北野映画ではあり得ない点だ。
しかし、それが観る気を殺ぐわけではなく、「わかっているからこそワクワクする」という観る側の心理をうまく突いているのだ。
このように、セリフとストーリーは明らかにこれまでの映画とは大きく異なるのだが、それでも「紛れもなくこれは北野映画だ」という雰囲気も漂っている。
それが何かはしばらく考えてもわからず、今も当たっているか自信がないのだが、おそらく登場人物の存在感、ヤクザらしさ、人間としてのたたずまいがそれではないか、と思っている。
大杉漣さんとか寺島進さんとかが出ていれば、正真正銘の北野映画と見なせるが、それではこれまでの焼き直しになってしまうし、それこそ白々しさが全開となるだろう。
そこで、これまでに馴染みのない、なおかつ世間では有名な役者をキャスティング。
これがうまく効いている。
「ヤクザの世界のことはよく知らないけど、きっとこんな感じなんだろう」というほどよいリアリティは、これまでの北野映画から踏襲されているものであり、われわれ観る側も「そうそう、おれたちが観たかったのはこれだよ」という作風になっている。
皮肉なことに、白々しさが漂うセリフまわしも、「こんなセリフ、ギャグにしからならないんだよ、バカ野郎!」という監督の冷酷な視線そのものが、映画全体に凄みを与えているのだ。
つまり、どこを変えて、どこを変えてはいけないかを的確に判断しているところがこの作品の魅力となっているわけだ。
続編の公開も決定しているわけだが、次はどの手でくるのか。お手並み拝見といこう。
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