『C』──後出しジャンケン的な世界観の開陳が惜しいかな

監督:中村健治、キャラクターデザイン:橋本敬史の『化猫』コンビで、テレビ紹介文では「ホラー要素あり」とあったので見始めた作品です。

実際は「どこにホラー要素が?」と疑問もありましたが、バトルシーンのダイナミズム、“異世界”の独創的なデザインなど、テレビアニメとは思えないクォリティに仕上がっていると感じました。

細かい部分では“異世界”からキャラクターが話しかけてくる際のテロップの入り方が気に入りました。

物語としては、乱暴に言ってしまえば、〈経済〉という抽象的な概念を、アニメーションの〈映像〉というカタチで具体化したものと考えることができましょう。

ただ、これがはなはだわかりにくい。

〈未来〉を〈お金〉に変えているというのはわかる。またそれによって現実世界が影響を受けるというのも理解できます。

ですが、細かい世界観の設定を把握するのが容易ではない。

第1話を見て「なんかよくわからないけど、そのうち明らかになってくるのかな」という期待を持って毎週楽しみにしていたのですが、結局最後までわからないことだらけ(まったく理解できないというわけではないけれど、なんかモヤッとしたものが残る)でした。

このタイプの作品は、シリーズの序盤で独特の〈世界観〉(=その世界の独自ルール)を説明し、以降はそれを前提としたストーリー、独自ルールを活かしたバトルを展開していくのが王道ではないかと思います。

しかし、『C』のように、物語の終盤で新しい概念が出てくるのは、ご都合主義のそしりを免れないと思います。

もちろん、1回通して見ただけだからそう思うのであって、あらためて見直せばまた違った印象になるかもしれません。でもそれはそれで、DVDを売るための戦略では?というゲスの勘ぐりも成り立ちます。

〈世界観〉が独特なので、もう少し物語は類型的にし、「アセット」と呼ばれる異世界のキャラクターの魅力をもっと前面に出してくれれば、もう一度見直そうという気も起こるのですが。
けっして駄作とはいえない(いやむしろ佳作)だけに、じつに惜しい作品であると言えます。

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