『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(映画)──作品の本質を制作陣が十分に自覚したリメイク

TV版および旧劇場版『エヴァ』について、『エヴァンゲリオン解読』(三一書房)の著者の北村正裕氏は

ことによると、庵野監督自身も、自らの作品の素晴らしさを、完全には理解していないのではないか。

と述べている。これには深く共感することしきりであったが、新劇場版を観ると、やはり制作者たちは自分たちの作品の本質には自覚的であったかと、考えを改めた次第である。

たとえば今回、「使徒」が非常に恐ろしい存在として描かれている。

前回の使徒は、殲滅すべき敵ではあるが、かならずしも「恐ろしい存在」として描かれてはいなかった。これは、制作上の制約もあったと思うが、世界観としても、使徒は「人類のもうひとつの可能性」でもあるわけだから、これはこれで理にかなっていた。

しかし、「他人とは恐ろしい存在である」という作品の哲学からすれば、今回のような描き方をしてもよいわけで、『ヱヴァ』の物語において、「使徒」がどのように機能しているか、ということを制作者が十分に理解していることの証といえよう。

この使徒の描写によって、映像作品としてのダイナミズムも高まるのだから、創作姿勢としては実に正しいわけだ。

前回、ファンの間で議論を巻き起こした「謎」が早々に種明かしされてしまったところをみると、基本設定に相当な変更が行われていることが想像でき、今後の展開への期待も高まるというものだ。(ん? とすると「他人とは恐ろしい存在である」という哲学も破棄される可能性もあるわけか。)

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