バレた場合よりバレなかった場合のリスク──“ザ・カンニング問題”

今は昔、『ザ・カンニング』というフランス映画があってだな、いいとも青年隊が……などと書き始めたんだけど、「デスマ」終了直後で消耗しきっているので、今回はたしなむ程度に。
入試のカンニング問題に関しては、

「これって、〈カンニング防止〉という試験監督業務の怠慢を隠蔽するために、むりやり犯罪に仕立てあげてない?」

などといった意見もちらほら目にするなか、自分なりにコメントを付け加えるとしたら──。

カンニングは見つかった場合のリスク・デメリットもあるけど、じつはやり通した場合のリスクのほうが大きいと思う。

楽しいキャンパスライフを送るなか、ふと頭をよぎる。

──おれは、カンニングによって、ここにいるのだ。この幸福感の基礎にあるのは不正行為。まさに砂上の楼閣。

という罪悪感。

さらに──。

不正は入試のときの一回だけで、あとは真摯に勉学に取り組み、やがて優秀な科学者へ。
そしてノーベル賞なんかとった日には……。

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