バレた場合よりバレなかった場合のリスク──“ザ・カンニング問題”

今は昔、『ザ・カンニング』というフランス映画があってだな、いいとも青年隊が……などと書き始めたんだけど、「デスマ」終了直後で消耗しきっているので、今回はたしなむ程度に。
入試のカンニング問題に関しては、

「これって、〈カンニング防止〉という試験監督業務の怠慢を隠蔽するために、むりやり犯罪に仕立てあげてない?」

などといった意見もちらほら目にするなか、自分なりにコメントを付け加えるとしたら──。

カンニングは見つかった場合のリスク・デメリットもあるけど、じつはやり通した場合のリスクのほうが大きいと思う。

楽しいキャンパスライフを送るなか、ふと頭をよぎる。

──おれは、カンニングによって、ここにいるのだ。この幸福感の基礎にあるのは不正行為。まさに砂上の楼閣。

という罪悪感。

さらに──。

不正は入試のときの一回だけで、あとは真摯に勉学に取り組み、やがて優秀な科学者へ。
そしてノーベル賞なんかとった日には……。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


おしらせ

現在は〈ぎゃふん工房の作品レビュー〉gyahunkoubou.comにて更新しています。

こちらの記事もどうぞ

  1. まだまだお正月気分が抜けないので引き続き「戦争と平和」について考えてみた

  2. 【字幕実況】アーシャといっしょにモンスターワールドIV[18]&[19]最終回

  3. 西村寿行『去りなんいざ狂人の国を』──サリン事件でわかったこともたくさんある

  4. 松室麻衣『Destiny/LOVE-1』(音楽)──空腹は最高の調味料である

  5. 憲法は〈国家〉が本来持つ力をわれわれが押さえ込むための“呪縛”

TOP