それがほんとうに〈理想〉なの?─「もんだい問題」ぱーと2

ぱーと1では、安易に〈現実〉を「問題だ」としていくと
面倒くさいことがわかった。
そこで今度は、
「ニンテンドーDSで遊んで楽しい」=理想
のほうを考えてみる。
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
「ニンテンドーDSで遊んで楽しい」ことがなぜ〈理想〉なのか。
「ニンテンドーDSで遊んで楽しい」と「幸せ」だから
ということにしてみる。
少し視点を変えよう。


「ニンテンドーDSで遊ぶ」
ことによって、ほんとうに
「楽しい」
かどうか。
実際は、ニンテンドーDSには気に入ったソフトはなく、
PSPのほうが「楽しい」のかもしれない。
つまり、
「ニンテンドーDSで遊んで楽しい」=理想
ではないのかもしれないのだ。
じゃあ、なんなのか。
 「幸せ」であること
こそが
 〈理想〉
であって、
 「ニンテンドーDSで遊んで楽しい」
ことは、この〈理想〉を実現するための何か
でしかないのでは……。
となると、
 「ニンテンドーDSで遊べない」こと

 たいした〈問題〉ではない
ということになる。
みんな、ついてきてる? 脳汁出てないかい?o(*^▽^*)o
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
「ニンテンドーDSで遊べる/遊べない」などという
ほとんどの人にとってどうでもよいことを
“考える材料”にしているのがいけないのかもしれない。
「もんだい問題」は、
別にニンテンドーDSのマーケティング分析
をするためのものではないのだ。
(もちろん、分析してもいいのだが。
というより、任天堂のマーケティングする人にとっては
有用な理論だと思うのだが)

このあたりで、ニンテンドーDSにはお引き取りいただいて
もっともらしく「少子化」という
時事キーワードっぽい言葉を持ってきてみよう。
「少子化は問題だ」といえば、
いかにも“社会問題を考えているっぽい”雰囲気を醸し出せるし(*^-^)
まず、ぱーと1で考えた方程式にあてはめよう。
「少子化」
 =理想とは違う現実
 =解決しなくちゃいけない現実
 =〈問題〉
ということになる。
「少子化」が
 解決しなくちゃいけない〈現実
だとすると、
 〈理想〉

 「少子化じゃない(状態)」
ってことになるわけだが、
 「なぜ、少子化じゃダメなの?」
と言われると、
 「労働人口が減少して…」
 「国際競争力が…」
とか、いろいろ答えが浮かぶ
(というか、そう世間では言われている)。
さらに追及して
 「じゃあ、なんで労働人口が減少するとダメなの?」
などとやっていくと、
またしても堂々めぐりが発生してしまう。
堂々めぐりになるのは、
 「少子化それ自体はたいした〈問題〉ではないからではないか」
という疑問が浮かんでくる。
 たいした〈問題〉ではない
というのはつまり
 解決しなくちゃいけない〈現実〉
でもなければ
 理想とは違う現実
でもないのではないか、
という疑問が浮かんでくるということだ。
「それが問題だ!」
と世間で騒がれていることは
たいした問題ではないのではないか

というのが見えてくる。
実はこれこそが
 「もんだい問題」を考えることの意義
だといえる。
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それでは、
この「堂々めぐり」「袋小路」「詰み」から抜け出すには、
つまり「もんだい問題」を解消するにはどうすればいいのか。
ヒントは〈理想〉とは何か、
というところ隠されている気がする。
上の例でいえば、
 「少子化じゃない(社会)」が〈理想〉でない
とすると、
 ほんとうの〈理想〉とは何か
だ。
「少子化じゃない」ことによって実現される〈理想〉とは何か?
残念ながら、その答えはわからないm9(^Д^)プギャー
「若者向けの商品が売れる」「税収が増える」
とか答えらしきものはとりあえず書けるかもしれない。
でも、それはほんとうの〈理想〉ではない。
「なぜ若者向けの商品が売れなくちゃいけないの?」
「なぜ税収が増えるといいの?」
と問いを重ねていけば、
また堂々めぐりだ。
ここでいう〈理想〉は、
こんな堂々めぐりの起こらない何かだ。
答えはわからないが、
 「その答えを探し続けることが大切」
ということを知ることこそが
「もんだい問題」の核心だといえるのだ。

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