歯医者さんで虫歯と「戦争と平和」をからめてみた

本日は、歯医者さんに行ってまいりました。
といっても、虫歯になったのではありません。
私は10年ほど前から、半年に一度、定期メンテナンスのため歯医者を訪れるようにしています(歯医者からお知らせのハガキが来ます)。
個人的な歯並びや食生活も関連するのでしょうが、どんなに一生懸命歯磨きをしても、メンテナンスを欠かせば、必ず虫歯になってしまうのだそうです。
メンテナンスで、小さな虫歯(の素のようなもの)が見つかることがあります。この場合、虫歯になりかけですから、簡単に治療することができます。
このような予防措置を怠り、本格的に虫歯の侵食を許してしまえば、肉体的なダメージを受け、したがって歯も痛くなり、治療のための時間も費用もかかってしまうことになります。
「〈コト〉が起こってから対処するのではなく、日ごろから予防措置を講じておく」という考え方が大切なわけです。
歯医者さんが歯の洗浄をしている間、戦争を虫歯にたとえて考えてみました(治療ではなく洗浄ですから、まったく痛みを感じないのです)。
虫歯になってから(歯が痛くなってから)、歯医者さんに行く人も多いと思います。
これと同様に、われわれは戦争と平和について考えるとき、「戦争が起こったときにどう対処するか」という方向に思考をめぐらせてしまいがちです。
つまり、「戦争」という事態を出発点にして考えてしまうのです。
「戦争」をどう定義するのかはデリケートな問題ですが、かりに「武力衝突」といった意味でとらえた場合、「平和」の観点からすれば、「戦争」は最悪の事態、何かが失敗した姿と考えることができます。
つまり、バッドエンド、物事の終焉です。
虫歯は健康管理の失敗、人生の敗北と言えます。
「戦争」は思考の出発点ではなく、到達点(それも現実化してはいけないもの)と考えなければなりません。
今日の歯医者さんの診察の結果、じつは左側上下の奥歯の磨き方が十分でなく、このままでは虫歯になってしまう可能性が出てきました。
歯ブラシを歯と歯茎に対して垂直にあてなければならないのですが、右側はきちんとできていたのに、左側はおろそかになっていたのです。
歯磨きは毎日同じ作業の繰り返しですから、次第に気が緩んでしまっていたのでしょう。それが今日の診察で判明したわけです。
結局、来月も歯医者に行くことになりました。歯磨きのしかたがきちんと改善されているかを調べるためです。
戦争というものが、地震や台風といった天災ではなく、人間の営みから生まれるものであるならば、〈コト〉が起こる前になんらかの伏線があり、それに適切に対処することで、最悪の事態を防ぐことができるはずです。
本来、最悪の到達点として考えるべきもの(=戦争)を、思考の出発点に据えることは、事態の予防措置を講じる努力を放棄し、結果的にその最悪の事態に到達してしまうことにつながるのです。

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