一昨日・昨日と、「見た目の印象に惑わされず、本質を見きわめること」の大切さと難しさを見てきました。
3回目となる今回は、フジテレビ系で放映された刑事ドラマ『古畑任三郎』を肴に、さらに〈モノを考えるための枠組み〉を作る作業に励んでいきましょう。
パート2「動機の鑑定」では、〈慶長の壺〉という古い壺をめぐるエピソードが展開していきます。
陶芸家の川北百漢(夢路いとし)は、美術館館長・永井(角野卓三)、骨董屋・春峯堂の主人(澤村藤十郎)を前にして、美術館に展示されている〈慶長の壺〉は偽物だと断言します。
百漢は、あの壺は自分が作った贋作であり、本物は自分が保管していることを暴露します。百漢は、春峯堂の古物商としての倫理観に疑問を持ち、春峯堂の主人の鑑識眼のなさを世に知らしめるために、みずから偽物の壺を作ったのです。
それを聞いた春峯堂の主人と永井は、共謀して百漢を殺害してしまいます。
数日後、偽物と本物、2つの〈慶長の壺〉の前で、永井は罪悪感に耐えられず、警察に出頭することを申し出ます。
春峯堂の主人は、永井を阻止するため、目の前にあった壺で撲殺してしまいます。
さて、物語終盤、古畑任三郎(田村正和)は犯罪の証拠をそろえ、春峯堂の主人を追いつめていきます。その際、永井を殺すのに使った壺は本物であったことを告げます。古畑は、慌てていたので偽物と間違えたのであろうと推理します。
最終的に、春峯堂の主人は犯行を認めるわけですが、古畑はひとつ勘違いをしていると語ります。すなわち「本物とわかって、あえてそれで殴った」というのです。
主人によれば、「何が大切で何が大切でないか」ということが肝心である。本物は歴史はあるものの単なる古い壺。一方、偽物は現代最高峰の陶芸家が自分のためだけに作った壺。どちらに価値があるかは明らかである、というわけです。
一見、価値のあるように見えるものでも、本質を突き詰めれば、もっと価値のあるものが存在する。いや、「価値には優先順序がある」。春峯堂の主人はそう言いたかったのではないでしょうか。
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