【死刑】なぜ法を守らなければならないか[パート1/5]──『アリーmyラブ』

国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は3月27日、2011年に死刑を執行した国は中国やイラン、サウジアラビアなど20か国で、その人数は中国だけで数千人、そのほかの19か国で計670人以上に上る、という調査結果を発表しました。

また、国連加盟国193か国のうち、日本を含めた175か国(91%)では執行がありませんでした。死刑廃止国は昨年9月以降2か国増え、過去最多の141か国(13日時点)になったそうです。

ところが、その2日後の29日、日本で3人の死刑が執行されました。

死刑反対の立場をとるこのブログでは、当然「あってはならぬ事態」と評価せざるをえないのですが、死刑賛成論者の中には次のような意見を主張するケースが見られます。

法相が個人の思想・信条から法律で定められた職責を果たさず、その結果、執行のペースが左右されることは、法治国家として本来許されないことである。
(『読売新聞』3月30日付・社説)

つまり、「法治国家である以上、当然ながら死刑を執行すべき」という論理です。
今回はこの問題を考えてみたいと思います。

以前、死刑など社会問題を論じる際には、「ものごとを考えるための枠組みを作ること」が大切だと述べました。

そこでまずはこの枠組み作りから着手することにします。

また、このブログは作品批評のブログでもあるため、独自の方法として、作品の記述や描写をヒントに、この「枠組み」が作れないかどうかを検討していきたいと思います。

今回、取り扱うのは、弁護士事務所を舞台にしたアメリカのテレビドラマ『アリーmyラブ』(Ally McBeal)です。

ファースト・シーズンのエピソード6「婚約」(The Promise)で、アリーたちは売春の罪で起訴された女性の弁護を引き受けます。

アリーとタッグを組んだのは、事務所のシニアパートナー(所長)でもあるジョン=ケイジ。ここでは、彼の最終弁論(=売春を正当化する論理)を見てみましょう。

ジョンによれば、女性は誰でも自らの〈性〉を武器にお金を稼いでいるといいます。
たとえば、会社では昇進のために体を開く例があり、それは突き詰めるとお金のためであるというわけです。

『Ally McBeal』

その弁論を聞いたアリーは、強い不快感を覚えます。

『Ally McBeal』

さらにジョンは、高収入の男性と結婚した女性は、究極的にはお金のために性を売っていることになると主張します。

『Ally McBeal』

アリーの不快感はさらに深くなり、憮然とした表情を浮かべます。ちなみに、アリーの様子は陪審員にも見られています。ジョンの主張を和らげることになり、弁護人としては、やってはいけないことをアリーはしていることになります。

『Ally McBeal』

会社や結婚における「性の商品化」は罰せられないのに、売春だけが罪になるのは偽善であると、ジョンは訴えます。

『Ally McBeal』

あまりの偽善ぶりに言葉を失ってしまったと、ジョンは黙祷を始めてしまいます。

『Ally McBeal』

ジョンにつられて、裁判長や陪審員も黙祷をします。

『Ally McBeal』

アリーは、別の意味で言葉を失ってしまいます。

『Ally McBeal』

事務所に帰ったアリーは、ジョンに対して不快感をあらわにし抗議します(念のため。ジョンはアリーの雇い主であり上司です)。

『Ally McBeal』

アリーは、最終弁論で語ったことは本心だったかと問い質します。

『Ally McBeal』

「女性はみんな性を売り物にしている」という主張は、アリーにはとうてい受け入れられません。

『Ally McBeal』

アリーの詰問に対してジョンは「あのときの状況をよく考えれば、自分があのような主張をした理由がわかるはずだ」と反論します。

『Ally McBeal』

つまり、それは「お金のため」(弁護士として仕事のため)であるというわけです。

『Ally McBeal』

ジョンは、「言葉や行動、現象だけのうわべを見ただけで判断せず、じっくり考え、物事の本質を見きわめることが大切だ」といいたいわけです。

ジョンのこの論理は、ものごとを考える際の枠組みとして使えそうです。

『アリーmyラブ』の分析はここで終えてもいいのですが、もう少しストーリーを追ってみましょう。

売春の罪に対して、陪審員は「無罪」の評決を下します。

『Ally McBeal』

すなわち、ジョンの先の弁論の正当性が認められたということになります(この場合、弁論の内容そのものというよりも、弁護士として無罪を勝ち取るために、状況に合った主張をすることの正当性という意味です)。

アリーが弁護士としての本分をまっとうしていなかったことは、もちろん依頼人にも見抜かれており、アリーの容姿だけが役に立ったなどといった皮肉を言われてしまいます。

『Ally McBeal』

アリーはとくに謝罪することはなく、自分とは価値観が違いすぎると答えます。

『Ally McBeal』

そして依頼人の女性は、アリーのような生き方ができるのは実はうらやましい、という本音を口にします。このあたりから、少し物語の風向きが変わってきます。

『Ally McBeal』

裁判が終わり、事務所に戻ってきたアリーですが、勝訴したのにもかかわらず、落ち込んだ表情を見せているため、負けたのだと勘違いされてしまいます。

『Ally McBeal』

このときアリーには、裁判以外にも、自分の恋愛観・人生観を揺るがす出来事が起こっており、絶望感にさいなまれます。そして、またしてもジョンに思いをぶつけます。

『Ally McBeal』

『Ally McBeal』

ジョンは、アリーの言い分を聞きたいのではなく、自分の考えを話しにきたのだと言い、とある言葉を口にします。

『Ally McBeal』

名セリフの多いジョン=ケイジですが、ここも屈指の名シーンといえます。ジョンが実際なんと言ったかは、みなさんがご自分で確かめてみてください。

『アリーmyラブ』をご覧になった方はご存知のとおり、この作品において売春は「悪いもの」として扱われています。つまり、アリーの恋愛観・人生観がイコール作品の価値観そのものになっているのです。さらに、実はアリーとジョンは同じ価値観を共有しており、物語としては、みずからの本音とはまるっきり正反対の主張をしなければならない状況に置かれているということになります。ここがこの作品の面白いところです。

さて、ジョンの語った「言葉や行動、現象だけのうわべを見ただけで判断せず、じっくり考え、物事の本質を見きわめることが大切だ」というのは、もの考えるための枠組みとなりそうです。

しかしながら、「法治国家である以上、当然ながら死刑を執行すべき」という論理の具体的な検証に入る前にもう少し回り道をしたいと思います。

今回の『アリーmyラブ』に加えて、下記の作品を材料に〈枠組み〉を強化していこうという予定を立てています。

  • 4月1日 ○ 福本伸行『無頼伝 涯』 ※『週刊少年マガジン』に連載されたマンガ
  • 4月2日 ○ 「古畑任三郎」 ※テレビで放映された刑事ドラマ
  • 4月3日 ○ ギュリ ※韓国のアイドルグループKARAのリーダー

上記論理の考察は、4月4日に行なう予定ですので、「くだらぬ御託は必要ない。はやく本論を始めよ」という方は、4月4日までお待ちください。

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