むかし書いた「阪神大震災 ボランティア報告」をアップしてみた(2)

ボランティアの2日目からの活動は神戸市の中央区から長田区に移り、「カンボジアのこどもに学校をつくる会」(JHP)という団体の活動として、「お風呂のサービス」をおこなう。

この「お風呂」は、公園によく見られる、屋根がついた休憩場所を利用したものである。ここを青いビニールシートで囲み、風などでなびかないように石の重しがしてある。出入りする場所にとめてある大きめのクリップも同じような配慮だ。

「ドラム缶のお風呂」というと、お湯を沸かしているドラム缶に直接はいるものを想像してしまうが、ここでは、外のドラム缶2本でお湯を沸かし、それを中のドラム缶に移しかえていくという方式を採用している。

この「お風呂」システムの手順を説明しよう。

このあたり一帯は水道が止まっているが、ただひとつ水がでるここの公園の蛇口からホースを引っぱってきてドラム缶に注いでいく。ただ、この蛇口がやっかいなシロモノで、手を離すと水が出なくなってしまう仕組みになっている。(地震でそうなったのではなく、もとから。)そこで木片で蛇口を固定するといった工夫が欠かせない。(しかしのちにこの木片が行方不明になるというゴタゴタが発生する。)

ドラム缶2本の水がいっぱいになったら、火をたいて温める。しかしこのときの注意は、1本はガンガンに火をたいてよいが、もう1本は比較的おだやかにたかなければならないということだ。結果的には、温度の異なるお湯ができることになる。

なぜこうしなければならないのか。たとえば、両方を同じようにバカスカたいたとしよう。そうすると、あるていど時間が経過すると“メルトダウン”が発生し、とても人間がはいるような液体でなくなってしまう。そうかといって、“メルトダウン”しない程度に火力を調整するのは素人には難しい。また逆に両方チョロチョロやっていると、なかなかお湯が沸かないことになる。そこでその中間をとるべく、ガンガン缶とチョロチョロ缶をつくるというわけである。

両方のドラム缶がいい具合になったら、中のドラム缶にお湯を移していく。湯加減を手でさぐりながら、2種類のお湯を巧妙に混合させていくが、このとき注意しなければならないのは、手をいれたときと実際に全身まるごと沈めたときとでは、お湯の温度の感じ方がちがうということだ。したがって、手をいれてもちょっとぬるいぐらいがちょうどよい。

われわれの陣地の近くでは、自衛隊もお風呂をやっていた。実際に試してないのでよくわからないが、むこうのはまさしくこういうときのために作られたものだから、たぶんこちらのよりは設備が整っているのだろう。

となると、われわれのお風呂の存在価値とは何だろうか。

状況が状況だけに、お風呂に関しては需要超過だろうから、どんなダサイものでも、あるだけマシなのかもしれないが、むこうは夕方くらいに店をたたんでしまうのに対し、こちらは深夜営業、お客が来るまでやっているというところだろう。被災者とはいっても勤めている人はいるのだし、自衛隊の風呂の時間には間に合わないという。

また、自衛隊のほうは有名だから人が殺到していてなかなか入れないが、こちらは無名だからあまり混んでいない。(とはいっても30分から1時間待つこともある。)そして、そのわりにはきめこまやかなサービス。お客様にはたいへんよろこんでいただいているのである。

以上のシステムは、私がここに来る前からほぼ確立されており、あとは自分なりにちょこちょこ改良を加えるていどであった。

ただ問題は、マキをどうするかということである。この問題は常につきまとう。区役所が提供してくれたり、どこかの団体が寄付してくれたりもしたが、やはり使うそばから目に見えて燃料がなくなっていく。そこで、公園のまわりの倒壊した家から木をもらってくることにする。もちろん、勝手にもっていくのはマズイので、壊れかけの家屋を取り壊す作業をしているところにいって、作業中のおじさんにお願いして材木をもらう。また、自分の壊れた家の木を提供してくれた人もあった。

われわれが寝泊まりしているのは長田区役所の建物の中であり、いろいろなボランティア団体の人たちも寝泊まりしているが、私がここにきたときからすでに退去命令が出されていた。それでもなお不法侵入しているわけである。ただし2〜3日もすると、そのほかの団体の人たちはどこかにいなくなり、依然として不法に滞在しているのはわれわれだけになってしまった。

そこでテントを調達してきてお風呂の近くに設置する。テントといっても、よく小学校の運動会などで並んでいるあのテントである。

しかし2月中旬のこの時期、このままでは野ざらしに寝るのと変わらない。あまりにも寒すぎて生命活動にすら支障が生じかねない。そこで発泡スチロールやらウレタンやら段ボールやらで内装を仕上げる。実際に寝るときには寝袋の中で毛布2枚にくるまって、やっとなんとかしのでいるようになるが、私はさいしょ寝袋の中ではなく外にまいて寝てしまい、20年間の人生の中で最も寒い冬を経験した。

お風呂に入りにくるのは、もちろん被災者の人もいるが、どちらかといえばボランティアの人が多い。つまり、ボランティアの1日の仕事を終えた人がかなり遅い時間にやってくるのである。

お風呂を自分でやっていながら6日間ぐらい入浴していない。はじめの2日間ぐらいは気持ちわるいが、そのあとは慣れてしまってけっこう平気だということもここで得た貴重な知識といえよう。そうかといって、せっかく目の前にあるのに全然はいらないのはどうかと思うので、挑戦することにする。

また、実際にお客の立場になってみないとわからないこともあるだろう。その結果、すのこの上のシートは、入る直前にお湯をかけて温めた方がよいこと(お客の立場からみれば「温めてもらうこと」)を知った。そして中と外とでは時間の流れる速さのちがうことも。(そんなに長く入っていたつもりはないんですよ、ほんとに。)

公園にはボランティアの人たちしかいないせいなのか、実際にここに来てから思うのが、意外に明るい雰囲気だということだ。こういうことを言うのは不謹慎なのかもしれないが、キャンプかなにかをやっているような感じなのである。もっと深刻な、あわただしい、有事感のようなものを想像していただけに、落差が大きかったのかもしれない。それは、ときどき訪れる被災者の人と話していてもそうである。

また、ふつうの格好をしているのは被災者であり、みすぼらしい格好をしているのはボランティアの人間である。そもそも、ボランティアと被災者とを区別することじたいがまちがいなのかもしれない。被災者とはいっても地震があったときにたまたまここに居合わせただけのことだ。ということは、ボランティアだからといって、妙に正義感をもつのもの不要であろう。楽しいからやっている。それでいいのではないか。
(1996年2月17日)

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