『REC/レック2』(映画)──ゲームは映画に追いついた──では映画はゲームに……

『レック』シリーズについてレビューするとき、どうしてもP.O.V.(point of view=主観視点)について語りがちだ。

だから、今作は前作と異なり、カメラ(視点)が複数あったりすることに注目して、そこから作品のおもしろさを考え始めてしまう。

もちろん、それがまちがっているというわけじゃない。

しかし、P.O.V.を売りにした映画でカメラが複数あるという設定は、最近ではジョージ=A=ロメロ御大が 『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』ですでにやっている。

また、隊員の頭にカメラがついているのも 今から思えば、ジェイムズ=キャメロン大先生が『エイリアン2』で20年以上前に取り入れている。

なので、P.O.V.はこの映画のエッセンスの一部ではあるけども、本質ではないとこのブログでは考えたい。

今回は、前作の“ゾンビもの”から一転、 “あっちのほう”へもっていくわけだが、 “あっちのほう”へもっていく というアイディアだけでゴリ押しをするのではなく、 それ以外にさまざまな工夫が施されているところがおもしろい。

その工夫について考えると、なんというか、制作陣はわれわれと“同じ空気を吸ってきた人” という感じがしてくるのだ。

スペイン人と日本人がホラー分野において、どこまで文化的な共通点があるかはしらないけれど 「きゃつらはぜったい『バイオハザード』『サイレントヒル』やってるだろ!」 と思わせるギミックが目白押しだ。 P.O.V.そのものがテレビゲームみたいに見えてくるわけだし。

制作陣が「おもしろい」と思うことと、こちらのそれが一致しているので、いちいちがツボってくるところが本作の魅力だ。 (逆に、一致しない人はつらい)

ただ、ここで単純に〈恐怖〉という観点から見ると 「やはりホラーゲームにはかなわない」という思いをあらためて抱いてしまう。

メディロスを他人(=映画中の人物)に殺してもらうのと、 リサ=トレバーを自分で倒さなければならないのとでは、恐怖度はケタ違いだ。

ゲームは「主人公を自分で動かすことのできる映画」を目指し、 現世代のハードでほぼ達成できたといってよいだろう。

本シリーズが「ゲームのような映画」を 目標にしているかどうかはしらないけども、 「映画のようなゲーム」が実現している現在、 映画のありかたはどうあるべきなのだろうか──というところまで考えが拡大する意義深い作品なのでした。

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