昨日は〈強盗論〉には「恣意的な状況設定」という問題があると述べました。
では、恣意的でない状況設定、いいかたをかえれば、現実の世界に限りなく近いたとえ話とはどんなものか。
今日はこれを考えてみましょう。
とある町の住人たちの間で、誓約書が交わされました。
武器で脅して金品を奪ったり、乱暴したりしないようにしようと約束するものです。
というのは、以前にお互いの武器を用いた血で血を洗う争うが起こり、甚大な被害が出てしまったのです。その反省と後悔がありました。
万が一、この誓約を破ろうとした者が現れたときのために、〈監視団〉のようなものを作ることも提案されました。
〈監視団〉は、各家庭からひとりずつメンバーを出し、それぞれの武器もこの組織が管理することになっていました。
ところが、この〈監視団〉システムがなかなか完成しません。どうも武器を管理する、というところが引っかかっているようなのです。
結局のところ、とりあえず武器は各自が管理することで落ち着きました。
ただし、N家だけは「武器は百害あって一利なし」として、「武装しない」という宣言を文書にして各自に知らせました。そのほうが「誓約書」の効力を十分に発揮できるとNさんは考えたのです。
時が経ち、以前のような血で血で洗うような戦闘はなかったのですが、ときどき小競り合いが起き、負傷者が出ることもありました。
それぞれ武器は「自衛のために」保有していたのですが、自衛に必要な武装がどの程度か明確でなく、とくにA家とS家はロケットランチャーのような、明らかに過剰と思える武器を持つように至りました。
これはたいへん危険なので、お互い武器を減らしていこうという話し合いが今も続けられています。
問題なのは、この町のリーダー的な存在だったA家がことあるごとに武器を使用することです。
こんなことがありました。
ある家で児童虐待が行われているという噂が流れました。
いちはやくAさんがその家庭を訪れたのですが、そこにも武器を持っていったのです。それだけでなく、その家庭の主人を撃ち殺してしまいました。
もっとまずいのは「児童虐待」の事実はなかったことです。そもそもその家庭には子どもがいませんでした。
Aさんもかなりの問題児ですが、さらにみんなを悩ませたのがNさんです。
「武装しない」と宣言しておきながら、いつのまにか武器を所持していたのです。しかも、児童虐待の疑いのあった家に、Aさんと一緒に武器を持って向かったのです。
これにはN家のまわりの人たちは恐怖を覚えました。
ただ、当初に交わした「誓約書」をより現実的にするために武器を持たない、というNさんの発想自体はこの町の人々から評価されていて、それを実行したり、あるいは実行することを宣言する人たちも現れていました。
現在、町全体を見ると、なるべく武器を使わないでいこうという流れになっています。
最大の武装を誇っていたA家も少しずつ武器を減らし始めました(武器の保有は家計を逼迫させる要因となるのです)。
いずれ当初の計画であった〈監視団〉ができるか、あるいは武器そのものがなくなる日がくるのも、けっして夢物語ではなくなりつつあります。
ちなみに、N家でも「せっかく武装解除を宣言したのだから、きっちり守るべきだ」「いや、自衛のための武器まで捨てるとは言っていない」「児童虐待の家に武器を持っていくのが自衛のか」などと、激しい論争になっているようです。
以上、粗削りではありますが、たとえ話をするならここまで設定しなければ意味がないでしょう。
このような状況でも、N家はこのまま武器を持ち続けるのかどうかが問われているわけです。
ここで、本日の教材として小林泰三の「C市」(『脳髄工場』角川ホラー文庫に所収)という短編をあげてみます。
C市は、「C」と呼ばれる“敵”に対処する方法を研究する人々が集まった町です。
Cは人知を超えた存在であるため、その正体は明確でありません。超高度文明を持った知性体であるとか、異次元の生物であるとか、いろいろな説があります。
したがって、そもそも“敵”かどうかすらわからないのですが、「Cを討つべし」という意見が多数派で、Cに対抗するための武器「HCACS」の開発が始まります。
人知を超えた“敵”に対抗する武器ですから、HCACSもやがて人知を超えた存在になっていきます(自己進化を始めてしまい──自己進化そのものは設計どおりなのですが──人間の手には負えなくなります)
ここまでくると、安心・安全を確保するためのHCACSが人間の脅威そのものとなってきます。
そして、ラストにはとうとう●●●●●●●●●であったことが明らかになります。
*●●●●●●●●●はネタバレ防止のため伏せ字にしました。下記に伏せ字部分を記しています。
さて、〈強盗論〉には、「武装することがまわりの人々(国々)に与えるインパクト」と「武器を使用してしまう危険」という視点がありません。
つまり、〈強盗論〉には「武器(軍隊)それ自体が脅威である」という本質が欠けているのです。
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