『インセプション』──物語や設定の独創性ではなく映画のたたずまいを凡庸にしたところがよい

まずは、この映画を観ながら頭に浮かんだ作品を挙げてみよう。
非現実の世界でドタバタするのは、誰もが『マトリックス』を連想するだろう。
夢の世界を登場人物たちが共有するというのは『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』だ。
ターゲットの潜在意識に入り込むというのは、『宇宙船レッド・ドワーフ号』に似たエピソードがあった。
フィクションの世界が幾層にも重なっているのは、筒井康隆『朝のガスパール』を思い浮かべた(夢の世界という意味では『パプリカ』のほうが近いが)。
愛する者を死なせてしまったという罪悪感が奇妙な世界を作り上げてしまうのは、『サイレント・ヒル2』のようだ。
死んだ妻に意識の中で会いたいと思うのは『エヴァンゲリオン』の「人類補完計画」を想像する。
老人たちが「夢の世界こそ現実」と思いたいがゆえに、眠っている時間こそが本当の人生だと思う話は『アリー・マイ・ラブ(Ally McBeal)』にある。
潜在意識を共有できるのは黒沢清『CURE』のようでもある(映画よりノベライズのほうがよりわかりやすい)。
もっと考えればいろいろ思いつくだろうし、それぞれが体験してきた物語によって、想起する作品は十人十色であろう。
つまりは、物語や設定そのものは独創的ではないということだ。
だからといって、パクリだとか、二番煎じではないか、などと批判したいわけじゃない。
この映画の卓越性は、「夢の世界だからなんでもあり」にしなかったことだ。
エイリアンやモンスターが出てくるような話でも十分成り立つ設定なのだが、それではコメディーになってしまうし、派手な銃撃戦では『マトリックス』そのものになってしまう。
あくまで地に足をついた世界を構築し、なおかつ「罪悪感からの解放」を主題にすえたことで、物語に重厚感が生まれることになった。
ただ惜しいのは、〈夫婦の関係〉〈人間性の回復〉のようなテーマを織り込みながら、あまり心に響かないことだ。
物語の第一義的には、あくまで「ライバル企業の次期社長の潜在意識にアイディアを植え付ける」という話であるために、上記の要素が奇抜な設定とリンクしていない。そこに原因があると思われる。
映像表現、脚本の緻密さなどには素直に拍手を送りたいが、もっと感動したかったという不満感がどうしても残ってしまうのだ。

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