いやあ〜、アニメってスゴイな。 原作の絵本では、
- 「しずくの妖精」→「しずくの形をした水色のキャラ」→「しずくちゃん」
- 「香水の妖精」→「ピンク色の女の子キャラ」→「うるおいちゃん」
- 「鼻血の妖精」→「いつも鼻血を垂らしている赤色のキャラ」→「はなぢくん」
- 「汗の妖精」→「いつも汗をかいている食いしん坊キャラ」→「アセオくん」
と、まるで連想ゲームのように登場キャラクターたちが創造されているわけだが、彼らはあくまでも抽象的な存在であり、絵本ということもあって、作者のメッセージを伝えるだけの、まるで血の通っていない記号、アイコンにすぎない。
しかし、これがいざアニメとなると、止まっていた絵が動き回るというアニメならではの根源的感動に加え、声優さんたちの巧みな技により、生命を持った存在として俄然輝き出してくる。
アニメーションというものの凄さ、素晴らしさを改めて再認識させてくれる作品といえよう。こんな子ども向けの番組でも、だ。
問題は、原作の絵本がシュールで無意味な世界を描いている、という点だ。
先に述べたように、絵本ならば、キャラクターが抽象化されているから、この独特の世界観に居座る存在としてとくに違和感はない。
しかし、アニメの登場キャラクターとして生命を持ってしまうと、絵本と同じようなシュールな世界に入り込んだとき、なんとも気持ちの悪い空気が漂ってきてしまう。
この問題は、今回のアニメ化にあたり制作陣の頭をおおいに悩ませた点であろう。
そこで生み出されたのが「つむりん」というアニメ版オリジナル・キャラクターである。
「つむりん」は、「しずくちゃん」の世界観のなかで、ゆいいつ常識的な存在で、視聴者の目線に立っているキャラクターである。しずくらのボケに対して、的確なツッコミを入れる。シュールかつ居心地の悪いしずくらの振る舞いを視聴者が飲み込みやすいよう加工し提供する役割を負っているのだ。 「つむりん」というキャラクターは、なかなかの“発明品”といえる。 しかも、エピソードのラストを
「ダメだ、こりゃ」
と長さんへのオマージュで締めくくるあたり、ツッコミ役としてなかなかの大物ぶりを感じさせるではないか。
はじめまして。
記事内容と全く関係ないコメントになりますが、「ゲームサイド3号」の「ゲームサイド横丁」に書かれている事について思う事がありまして、書かせていただきます。
私は秋田に住むものですが、秋田市にはメイド喫茶が2件あります。
うち1件には入った事がありますが、特にどうということのない感じでしたね。
しかし、米田さんは何故に秋田に一人旅に出たのですか?w
乱文にて失礼しました。では。