カクスコといえば、2002年に惜しくも解散した劇団で、知る人ぞ知る存在です。
小劇場の新宿シアタートップスを本拠地としていたこともあって、チケットは即日完売。個人的にはついに実際の公演を見に行けなかったのが一生の不覚。そんな劇団です。
カクスコの6人はみんな芸達者なので、映画やドラマなどで、しばしば顔を見ることがあります(最近だと、座長・中村育二さんの『クライマーズ・ハイ』の編集局長役が印象的でした)。
アドリブは一切なし。稽古の積み重ねによる緻密に計算された演技が特徴です(0コンマ何秒タイミングがずれただけでも成立しないシーンがある)。
シチュエーションや役どころは公演ごとに微妙に異なるものの、小さいなアパートや仕事場を舞台に、男ばかり6人が騒動を巻き起こす、というストーリーはどの公演でも共通しています。
「騒動」といっても、“内輪ウケ”のような日常的なゴタゴタです。“内輪ウケ”のはずなのになぜか誰もが共感できるという不思議な世界が展開していきます。
登場人物の中には既婚者がいる場合もありますが、たいていは独身で、無職の人がいたりします。また恋人がいても別れ話でもめていることもあります。
いわば社会の“負け組”たちの集まりがカクスコというわけです。
悲哀は漂っていますが、悲壮感はない。胸に響く言葉は数多くありますが、決して説教じみていない。
このブログでは、そんなカクスコの公演で語られたセリフの中から、印象的なものを取り上げていきたいと思います。
ただ問題は、セリフの一部分を取り出してきても、カクスコの魅力はまったく伝わらないということです。
あくまでもストーリーの中でふっと漏れるひとことだからこそ輝きを放つのであって、「名言」として焦点を当てても、それ自体はありふりた表現である場合がほとんどなのです。
しかし、今ではカクスコの公演を観ることができないこと、あくまでセリフは“きっかけ”にすぎないという意味で、ここで取り扱っていきます。
今回ご紹介するのは、古道具屋「朝日堂」を舞台とした「年中無休」(1992年)からのひとこまです。
朝日堂の社員たちが乗った車が脱輪し、どしゃぶりの中、車を動かす羽目になりました。
服を乾かす間、ストーブのまわりで一騒動があり(この「騒動」の完成度の高さは異常)、缶コーヒーで人心地ついたときに社員のひとり・日置がいったセリフが
「幸せってこういうもんかもしれないなあ」
です。
言わんとすることは、「小さい幸せを見逃すな」ということですが、すかさず「小さいことで満足しろってことですか」という突っ込みも入ります。
どっちが正解か、という結論はこの場面では出ませんが、この「小さい幸せを見逃しているかもしれない」というのは、なかなか示唆的なセリフといえます。
私も実歳の舞台を観れませんでした。 深夜のテレビで観て、是非って思ってたら、解散。時々テレビで見かけて、あー!頑張ってくれてるんだ❗って。
井上さんは残念でしたが、中村育二さんは『シン・ゴジラ』や『アウトレイジ』シリーズでお見かけしましたね。
コメントありがとうございました。