敵は誰かを見きわめよ──秋の〈アジェンダ・セッティング〉講座

「人は誰もが幸せになるために生きている」とここでは断言する。
かつて「死刑になりたい」からと、小学校に侵入し、子どもたちを次々とその手にかけた男がいた。
こういうのは一見「幸せ」を願っていたようには思えないが、幸せの定義など人それぞれだ。他人から見たら「不幸」になろうとしているとしか思えなくても、本人からすればそれが望みなのだから(しかもそれは叶えられた)、やはり幸福を追求していたのだ。
しかし、殺人によって幸福追求を行うことは許されない。
では、人はどのようにして〈幸福追求〉をすればよいか。
もちろん、一概にはいえないし、答えを出すのは難しい。
だが、〈政治〉に頼るというのは、ひとつの方法であることは間違いない。
とはいうものの、いうまでもなく〈政治〉は万能ではない。
多様な価値観、政治的立場、趣味・嗜好、私利私欲が交錯する現代社会にあっては、〈政治〉の有効性は低下しつつある。
ただ、〈政治〉というものを〈幸福追求〉のための数多くある手段のひとつとして考える場合、自分たちの利にかなっているか、その有効性・正当性を判断する必要はあるだろう。
では、何を基準に判断すればよいのか。この渾沌とした世の中で。


〈政治〉はいうまでもなく、われわれひとりひとりの利益を完全に実現することはできない。
多少の違いには目をつむって、利益を同じくするものをある程度ひとまとりにして、乱暴な言い方をすれば、十把一からげに、利益の実現を目指すしかない。
では、「ある程度」とはどの程度なのか。
それは〈経済的境遇〉が同じものを「ある程度」ひとまとめにすればいいのではないか、というのが現時点での結論だ。
〈経済〉という言葉は〈経世済民〉という意味があり、そこに〈政治〉という意味合いも込められてしまうから、身もふたもない言い方をすれば〈お金〉、つまり〈収入〉とか〈家計〉といったほうがいいだろう。
つまり、〈政治〉を行ううえで、その構成員を〈収入〉ごとにひとくくりにしてしまうという考え方だ。
これをわれわれの側からみると、自分たちの〈収入〉に見合った〈政治〉が行われているかどうかということになる。
たとえば、年収300万円の人(家庭)と、1000万円の人では〈幸福追求〉のありかたは違う。
しかし、年収300万円の人同士なら、〈幸福追求〉のしかたに共通点があるのではないか。
これがきわめて乱暴なまとめかたであることは十分承知している。
同じ年収300万円でも、独身の人もいれば、既婚者もいる。共働きで子どもなしの夫婦もいれば、3人の子育てをしている家庭もあるだろう。
それぞれが置かれている社会的立場が千差万別であることは言うまでもない。
しかし、ここで論じているのはあくまでも〈アジェンダ・セッティング〉の観点から、〈政治〉を判断するための基準をどう考えるかということだ。
たとえば、年収200万円の家庭は、子どものいない可能性が高い(もちろん、そうでないケースもあるだろうし、年収の低い人は「子どもを持ってはいけない」と言っているわけでもないが、ここではそのような差異は無視するということなのだ)
そのような年収200万円の家庭にとって、子ども手当は「直接は」関係ない。
年収が低ければ、余剰資金が少なく、資産運用にまわす金額も少ないだろう。ならば、外国為替市場に投資(投機というべきか)する余裕もない(実際にしていない)はずだ。となると、円高という事態は「直接は」関係ない。
しかし、「直接は」関係ないはずなのに、自分にとって重大な問題であるかのように考えてしまってはいないだろうか。
政治家が政策を口にするとき、あるいはマスメディアのニュースキャスターや評論家が政治問題を語るとき、それはどのくらいの〈お金持ち〉(=収入)の人の利益(不利益)になるものなのか。
そういう観点から〈政治〉を考えることが〈アジェンダ・セッティング〉の魔の手から身を守るひとつの方法なのである。
かつては〈右〉とか〈左〉とかいう分け方があった。
『週刊金曜日』を読んでいる人の政治的〈思想〉はおおよそ似かよっているだろう。
しかし、『週刊金曜日』を読んでいる人の中には、年収200万円もいれば、1000万円の人も(たぶん)いるだろう。
そうすると、誌面がどの程度〈幸福追求〉に寄与するかは読者によって違いが出てくるだろう。もっといえば、〈思想〉ではなく、〈収入〉によって、「まったく役に立たない」という人も現れてくるはずだ。
もっとマズイのは、〈思想〉的に共感できるからと愛読していたら、〈お金〉の面から見ると、実は自らの〈幸福追求〉に反していたという場合だ。
※なんとなく〈左〉っぽいメディアの例として『週刊金曜日』を挙げたが他意はない。『読売新聞』とか『産経新聞』に置き換えても趣旨は変わらない。
──といったところで、とりとめもなくなったので、最後に今回の趣旨をもう一度まとめて終わりにしよう。
★〈幸福追求〉の手段として〈政治〉を判断する基準は〈お金〉(=収入)。
★〈思想〉ではなく〈お金〉(=収入)という観点から考えると、ずっと味方だと思っていたのに、実は敵だった、ということがあり得るから要注意。

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