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『アンチャーテッド 黄金刀と消えた船団』(ゲーム)──リアルなグラフィックなのに〈おバカな世界観〉がポイント

PS3の電源を入れ、『クラッシュ・バンデクー』以来の〈NAUGHTY DOG〉のロゴに懐かしさを覚え、いざゲームが始まれば、ロード時間ゼロのノンストップ・アクションが展開し、ゲームを中断するタイミングを見失いながら、時間の感覚を喪失し、あれよあれよといううちにエンディング。

映像よし、サウンドよし、操作性よし、演出よし……まさに「よしよし」づくしの大傑作だ。

「PS3ソフトのナンバーワン」の呼び声が高い本作は、小難しいことは考えずひたすら画面内に構築されたバーチャル世界に没頭するのが幸福な方法だと思うのだが、あえてこの〈おもしろさ〉の成分を少し分析してみるなら──。

とどのつまりは、本作も『クラッシュ・バンディクー』だということだ。

『クラッシュ・バンディクー』のエッセンスは〈アクションの爽快感〉と〈おバカな世界観〉の2つだ。

〈アクションの爽快感〉は、本作ではたとえば、「ぜったいこんな距離を飛べるわけないよ」と思いながら意を決してジャンプすれば、なぜか届いてしまうところに再現されている。リアルなグラフィックで世界を構築しながら、キャラクターの挙動は“こんなのありえん”くらいに補正されている。これが心地よい驚きと爽快感を生んでいるのだ。

もう一方の〈おバカな世界観〉は、洋画の吹き替えでおなじみの、まさにこういうことの手だれのボイス・アクターたちが負う。プレイヤーがキャラクターを操作している最中にも、そんなことはおかまいなしにノーテンキなおしゃべりを展開し、おバカな雰囲気を作り出していく。

もちろん、欠点がないわけではない。

キャラクターの挙動がデフォルメされているから、「これくらいの高さなら大丈夫だろう」と飛び降りると、予想に反してゲームオーバーになってしまうことがある。つまり、リアルさの追究と〈アクションの爽快感〉は諸刃の刃とも言えるのだが、しかし、本作では“やりなおし”のポイントをこまめに設定することで、このストレスを回避している。

だから、欠点ではあるが、不満な点にはならないわけだ。

非の打ち所がないとはこのこと。

ひとつだけ本作の功罪の〈罪〉を挙げるなら、本作を越えるゲームが今後作れるのかよけいな心配をしてしまう、ということだけだ。

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『バイオハザード5』(ゲーム)──時代のほうが追いついてしまった……か?

第1作(リメイク版含む)→『コード:ベロニカ』からつながるシリーズ本流のストーリーであるからして、『バイオハザード』ファンとして、やらないわけにはいかない作品だ。

とくに出来が悪いわけではないし(いやむしろ完成度は高いと言える)、改善すべき点があるわけではない。

しかし、「大満足!!」と太鼓判を押すことを躊躇してしまうのもまた事実だ。

それは、近年の流行りのゲーム要素を巧みに取り入れてはいるが(そして、その要素を卒なくまとめあげている技量は買うが)、こと『バイオハザード』シリーズに関しては、「それでいいのか」と思ってしまうのだ。

思えば第1作目は、ハードの機能を最大限に活かした革新的なゲームだった。以降も、時代の最先端を本シリーズは走っていた。

でも、ここへ来て時代のほうが追いついてしまった。古参のシリーズのファンはそこに引っかかる。

くり返しになるが、ゲームとして欠陥があるわけではないし、他人にも自信を持ってオススメできるのは間違いない。

そこに「でもね…」と但し書きをつけなければならないのは、本シリーズがすでに“役目”を終えているからかもしれない……と、考えてしまうのは、ゲームではなく自分(プレイヤー)のほうに原因がありそうだ。

小難しいことは考えず、無邪気に遊んでいればいいのだ。しょせんはゲームなのだから。

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『サイレン ニュートランスレーション』(ゲーム)──傑作ホラーゲームの背景に見え隠れする“さびしさ”

傑作──。これはまちがいない。

舞台となる「羽生蛇村」の〈空気感〉、プレイヤーや敵キャラクターの〈存在感〉の表現に、あらためてプレイステーション3の性能の高さを見ることができる。

海外ドラマを観ているかのような趣向も秀逸。

恐怖の舞台に実際に入り込んでしまったような感覚は、映画や小説では味わえないゲームならではの魅力だ。

ゲームとして欠点らしい欠点はとくに見つからない。

だから、ふつうのゲームであれば、十分な満足感が得られるはずだ。ふつうのゲームであれば、だ。

ものが「サイレン」シリーズであるがゆえに、妙な〈不完全燃焼〉な感じ、〈寂寞感〉のようなものを覚えてしまうのも事実だ。

クリアするまでの時間が短いからか? もちろん、それもあるだろう。

しかし、プレイ時間と満足感は比例するわけではない。プレイ時間の短さは問題の本質ではない。

シリーズ第1作目は、アクションゲームに見せかけながら(アクションの要素を含みながら)、その実態はパズルゲームであった。

“目と耳から血を流した村人”がわけもなく襲ってくるという“ホラー”な部分は、単なる飾りであって、シリーズ第1作目は「パズルを解く」ことがゲームとしての神髄であった。パズルのピースが「目と耳から血を流した村人」(=「屍人」)であったにすぎない。

このパズルを解くには、プレイヤーがみずからの論理力や想像力を総動員して試行錯誤を繰り返さなければならない。何度も、いや何十回、何百回とゲームオーバーを繰り返さなければ、正解にはたどりつけないのだ。

でも、ゲームであるからには、必ず正解はある。盤石に見える「屍人」の守りの中には、制作者によって必ず〈隙〉が作られている。まさに制作者とプレイヤーの知恵比べ。

これが両者の真剣勝負である以上、制作者が温かい手を差し伸べることはない。制作者とプレイヤーのこの〈距離感〉こそが、ホラーゲームとしての〈恐怖感〉だったのである。

『ニュートランスレーション』の制作者は、子どもの世話を焼く母親のように“優しい”。だから、ゲームオーバーになることはほとんどない。クリアまでの時間も短くなる。

この“優しさ”がホラーとしての「恐怖感」、ひいてはゲームをクリアした際の「満足感」を殺いでいるのは誰の目にも明らかだ。

ライオンが崖から我が子を突き落とすように、プレイヤーに不必要な慈悲の心を見せないこと。これが優れたホラーゲームを作る上でもっとも重要。それを制作者が知らないはずはない。

本作のタイトルに『3』を付けていないのは、正統な続編でないことを制作者が自覚しているからだ。

では、なぜ今回は、絶望しかないはずの「羽生蛇村」で、われわれはナイチンゲールのような“慈愛の精神”に触れることになってしまったのか。

その原因はゲーム文化の未成熟さにある──。

当ブログではこんな仰々しい結論を出してみた。

第1作目は、「難しすぎて楽しめない」という批判があったという。だから、第2作目と本作は難易度を下げたわけだ。

自分たちの作るゲームをより多くの人々に楽しんでほしいと考えるのは、クリエーターとしても、そして利潤を追求するメーカーとして当然だ。それゆえ「もっとたくさんの人が楽しめるように簡単にしよう」と判断したとしても、なんら非難には値しない。

ただ、プレイヤーへの敷居は低くなるが(結果、より売れることになるかもしれないが)、ホラーとしての純度は下がってしまう。

どこでそのバランスをとるか。制作者側が下さねばならない判断は非常にデリケートだ。

もっとゲーム文化が成熟していれば──。もっと多くの人がこのゲームの持つ〈難しさ〉を楽しむことができたなら──。

「リンクナビゲーター」システムに象徴される、『サイレン』シリーズが持つもっとも「ゲーム」らしい要素が削られることもなかったであろう。

難易度も踏襲され、「恐怖感」「絶望感」もそのまま再現されていたはずだ。

しかし、『サイレン』第1作目のような“高度なホラー”を楽しむには、ほとんどのプレイヤーが、いや「ゲーム文化」そのものが幼すぎた。

『ニュートランスレーション』をクリアした後に、さびしさを覚えるのは、プレイ時間が短かったからでも、簡単だったからでも、怖くなかったからでもない。

「ゲームという文化の未成熟さ」が見えるから。そこに原因があったのだ。

そして、その背景には、すぐに「正解」を求めようとする現代人の〈強迫観念〉、テレビ、雑誌、インターネットに「答え」があふれかえる〈高度情報化社会〉など、複雑な要素が絡まり合っている。

単純にゲームの攻略法を提示することが、問題の解決になるわけではない(こと『サイレン』に関しては逆効果になる)。

当ブログがゲーム文化の発展に寄与するために何ができるか──などと大仰にかまえるつもりはない。でも「なんとかしなければ」という使命感を抱かざるを得ないところに、本作の“光と影”がある。

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『サイレン2』(ゲーム)──今回はホラーでないと思えばよい

あらあら、これまたエライ親切になったでないの。簡単になったでないの。こりゃ楽しいわい──。

本作をプレイしてみて、誰もが抱く感想はこんな感じだろう。

たしかに、「倒した敵の武器を奪える」だの「ゲームオーバーになっても途中からやり直せる」だの、前作をプレイした誰もが「次回作では改善してほしい」と思っていた点が本作では見事に実現されている。

ライトユーザーからヘビーユーザーまで、幅広い層に遊べるようになったのは確かだ。
しかし、それではたして良いのか、という思いが心のどこかに残る。

「ニンテンドーDS」のゲームではなく、あくまで“本格”指向のPS2用ソフトなのだ。だから、実は「親切になった」「簡単になった」ということで喜んでいてはいけないのだ。

難解だからこそ、それを解いたときに達成感が生まれる。この基本を忘れてはいけなかったのだ。

前作には、物陰から迂闊に顔を出しただけでたちまち窮地に追い込まれるといった、抜き差しならない緊張感が漂っていた。ゲームを起動させるのにも一定の勇気を必要とした。それはプレイヤーだけでなく、仮想の世界で蠢く「敵」たちにも当てはまった。彼らは何かに急き立てられるように、われわれに襲いかかってきた。

しかし、今作の敵にそのような切迫感は感じられない。

今回“親切設計”とも言うべきさまざまな工夫を施した開発者の意図はわかる。前作の不備を改善したというより、間口を広げたと言うべきで、前作の制作時に、難易度を上げるためにわざと排除した要素を今回あえて復活させたと見るべきなのだ。

だから、今回はゲームを起動するのが恐ろしいどころか、むしろガンガン遊んでみたい気分になる。

本当は、娯楽としては、本作の方向性は正解なのかもしれない。あえて前作と同じことをしなくてもいいだろうという考え方もある。

だが、ホラーとしては、前作のほうがやはり“純度”は高いだろう。前作の難易度の高さは、ホラーとしての恐怖を構成する重要な要素のひとつだ。

そう考えると、今回は「ホラー」というより「ダークファンタジー」として理解すべきなのかもしれない。

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『バイオハザード 4』(ゲーム)──ルールの変更は「恐怖」ではなく「嫌悪」をもたらした

これまた思い切った変更を試みたものである。客観視点は主観視点になり、武器はお金を貯めて商人から購入。シリーズの象徴であるゾンビの「ゾ」の字も出てこない。

シリーズの基本となる<ルール>そのものを変えているのだから、タイトルは同じでも、まったく別のゲームとなっている。

制作者の意図が「別のゲーム」なのだから、「こんなの『バイオ』じゃない!」という突っ込みは、もはや無意味だろう。

もっとも、そもそもシリーズ第1作目は主観視点で制作されていたらしいから、ここへきて原点に帰ったということもできる。

これまでのシリーズとの相違点として、どうしてもゲームシステムに注目しがちだ。

だが「ホラー」として、より重要なのは「ゾンビでない」という世界観の部分なのである。

今回の敵は「ゾンビ」とは異なり、自分の意思で攻撃してくる。仲間同士でも意思の疎通がある(ように思える)。

敵の強烈な攻撃によって、これまで以上に大ダメージを受ける機会が多いから「恐怖」を感じるのではない。生きている人間の〈悪意〉が猛烈にプレイヤーに迫ってくるから「恐怖」、いや「嫌悪」を覚えてしまうのだ。

「恐怖」と「嫌悪」。どちらも、ホラーというジャンルには欠かせないものだが、ルールの変更はこのプレイ感覚を変えたわけだ。

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『天誅 紅』(ゲーム)──「時代劇」なのになぜかラテン系

「敵の行動パターンを読み解き、発見されないようにしながら目的を達成する」というゲームといえば、『メタルギアソリッド2』『サイレン』などのタイトルが頭に浮かぶ。前者は“コメディ”、後者は“ホラー”だ。つまり、このタイプのゲームは、全体のテイストをいかようにももっていくことができるということ。

で、『天誅 紅』はといえば、戦国の世を舞台に、復讐心に燃えるくの一が主人公だ。いくらでもシリアスな方向に進むことができる設定であるが、本作の制作陣が選んだ道は、なんと「時代劇」なのに、ラテン系のノリのゲームであった。

「人を殺す」ことが主題なのに、どこか陽気。考えてみると、「復讐心に燃えるくの一」という素材自体、今の時代じゃギャグにしかならないのかもしれない。

『サイレン』よりも『メタルギアソリッド2』寄りのゲームということになるが、『メタルギアソリッド2』のギャグがベタベタな“吉本系”なのに対し、本作の“笑い”はスマートな“人力舎系”といえよう。

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『サイレントヒル 4 ザ・ルーム』(ゲーム)──ホラーゲームとしては佳作だがシリーズ最新作としては……

ホラーゲームとしては悪くない。不死身の敵「ゴースト」や、絶対安全だと思っていた場所が実はそうではなかったというどんでん返しなど、新鮮な恐怖の感覚を提示してはいる。

だが、この「新鮮な恐怖の感覚」というのが問題なのだ。

新機軸を打ち出した代わりに、シリーズを特徴づけていたもの(霧の立ち込める町の徘徊、敵の接近を知らせるラジオの雑音など)がことごとく消えている。

同シリーズのプレイヤーが「暗黙の了解」として期待している要素が欠けているゲームに、「サイレントヒル」という冠が付けられている。これには疑問を感じてしまう。

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『SIREN(サイレン)』(ゲーム)──ゲーム黎明期のパズルゲームのような雰囲気が漂うホラーアクション

主に週末だけのプレイだったとはいえ、クリアするのに3ヶ月もかかってしまった。こんなことは最近では珍しい。

長い付き合いだっただけに、言いたいことはいろいろあるのだけれど、今回は1点だけ述べておきたい。

それは「何だか懐かしい香りのするゲーム」だということだ。

敵の行動パターンを解析し、攻略法を見出す。1つのシナリオ(ステージ)をクリアするまでに、ゲームオーバーになる回数は1度や2度ではきかない。自分なりの方法を見つけるまで、何度も何度もやり直さなければならない。

キーアイテムを発見し、イベントを発生させるなど、『バイオハザード』や『サイレントヒル』シリーズのような最近の流行りのシステムを持ち合わせているものの、実際のプレイ感覚としては、パズルゲーム、それもゲーム黎明期のそれに近い。

ネット上では、安易に解法を求める人々が多かったが、昔はネットも攻略本もない中で自力で解いていたのだし、そんな古き良き時代の雰囲気を味わうのに最適なゲームでもあるのだ。

といいつつ、私も結果的に攻略サイトを覗いてしまっていたのだが。(今ではとても後悔している。)