『トゥモロー・ワールド』(映画)──“長回し”という、ありふれた手法がリアリティを作り出す

現実の紛争地帯にカメラを持ち込んで、この映画で描かれるような戦闘を撮影したとしても、スクリーンに映し出される映像がリアリティを持つとは限らない。

リアリティとは、あくまでも観る者の感覚に依拠するからだ。

映画の制作者たちは、だから、いかに観客の感覚に訴える「リアリティ」を作りだすかということに腐心してきた。

それはたとえば、気の遠くなるような手間と時間をかけて作られるCGであり、何億ドルもかけて作られる豪華なセットであったりする。

この作品が「リアリティ」を表現する方法として選んだのは、“長回し”であった。

ひとつのシーンをカットを割らずに写し続ける。決して珍しい手法ではない(ように最新技術で見せているのだが)。スクリーン上に展開するのは、カメラの動きに合わせて計算された役者の演技と特殊効果だ。しかし、その計算された画面こそ、真にリアリティを持つのだ。

「子供の生まれなくなった世界」というのが映画の核ではなく単なる舞台設定にすぎないことは、冒頭の爆破シーンで知ることができる。ここで早くも“長回し”が展開し、演出の伏線となっているからだ。

そして、映画の核でなかったはずの「子供」が俄然、光を帯びるところがまた白眉だったりするわけだ。

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