『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』(映画)──これはなかなかの問題作かもしれない

物語の主人公はプログラマーなわけだが、職業はちがっても、下請け会社、孫請け会社に務めている人(つまりはほとんどの勤め人)は大いに共感できるはずだ。

その意味で、誰もが楽しめる、よく出来た作品であると評価できる。

「徹夜作業」「サービス残業」「休日出勤」というとゲンナリだが、「デスマ」(死の行進:デスマーチ)なら、なんかカッコいいし(んなことないか)。

ただ、物語の途中から「この話はいったいどこに着地しようとしているのだろう」という疑問が頭をよぎる。

主人公の選択肢としては、大雑把にいえば、「会社を辞める」「そのまま勤め続ける」の2つしかないわけで、いずれの道を選ぼうとも、観ている側が腑に落ちる着地点は存在しない。
物語がハッピーエンドになろうと、バッドエンドになろうと、現実の問題は何も解決されないからだ。

これはフィクションとしての映画なのだから当たり前なのだが、「ブラック会社」というタイムリーかつ現実の問題を扱っている以上、どうしても煮え切らないものが観賞後に残ってしまう宿命なのだ。

その観点から、この作品の評価を下げる人がいるのは、まあ理解できる。

しかし、その一方で、たとえば橘玲氏のような「世界が変わらないなら、自分自身を変えてしまえばいい」という人生観にも、とくに最近では傾聴に値する。

『ブラック会社に~』は、どちらかといえばこちらの道を選んでいるわけだ。

世界を変えるのか、それとも自分を変えるのか。

どちらをとるかは個人の自由であり、なおかつひとりひとりが考えるべきこれからの課題でもある。

映画がどちらの選択肢をとろうと、作品それ自体の出来栄えとは切り離して考えるべきだと思う。

ここで「問題作だ」といっているのは、「いくら自分を変えても現実の課題は何も解決しないぞ!」とこの作品をマイナス評価したいのではなく、自分は「世界を変えるのか、それとも自分を変えるのか」のどちらを選ぶのか、ということを鑑賞中に考えざるを得ない、ということなのだ。

個人的には、二者択一ではなく、「世界を変える」「自分を変える」の両輪で生きていくしかない、と思っているんだけどね。これは映画の出来不出来とは関係ない。

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