ケータイを持たないと公言しているか、「たぶんこの人は持っていないだろうな」と想像できる人がいて、斎藤貴男氏も後者のひとりでした。
斎藤氏はジャーナリストであるからして、そして新書の体裁として、本書では“社会的な”考察がなされているわけですが、それはそれでよいとして、ケータイ否定論は「使わないから」の一点突破でもいいのではないかと思う。
それに、「ケータイ主体思想」は完全に社会に浸透し、今は「スマートフォン」や「タブレット」の猛攻にどう立ち向かうかが課題となっています。
本来は立ち向かう必要はないはずです。でも、不所持者が理不尽な不利益を被るのもまた現実でしょう。
──などと、“よけいなこと”を寝た子を起こすみたいに考えさせられてしまう一冊です。
しかし、ここで一度立ち止まって、ケータイに象徴されるところの「ネット文化」「電子メディア文化」について考えることもまた必要でありましょう。
ここまできたら立ち向かうよ。
理論武装の一環で買うかな。
たまたま農園さん。
毎度どうも。
理論がまとまったら
電子書籍でも作りますか( ̄▽ ̄)