都立高校に通う高校生のブログより
15日に青少年健全育成条例の改正案が成立した。授業でも先生がこの条例について話していた。
「いいか、よく聞け。単に、おまいらに、“けしからん”マンガを見せないようにするための法だと思うなよ」
と先生は息巻いていた。
これからは、過激なマンガやアニメが規制されるのだという。
そういえば、このあいだ『エヴェンゲリオン』の映画のDVDを父さんが貸してくれたので観た。
そこには、レイがシンジの股にまたがり、くっついているシーンがあった。
これもやばいのか。
でも、レイの体は実際はシンジのお母さんのものだ。
ということは、近親……やっぱまずいのか。
ぼくの友だちは「うわあああああっ、シンジとレイがやっちゃってる!」と興奮していた。
たしかに、ぼくも最初観たときドキッとしたけど、べつにあれは「やっちゃってる」わけじゃない。
肉体が消滅し、心がひとつになったSF的世界を描いているだけだ。
性的なものとはまったく関係ない……いや、でも、好きな人とひとつになるって、性的に関係ないといえなくもないのではないか。
くそっ。考えれば考えるほどわからなくなる。
都の偉い人たちは、どう考えるのだろう?
友だちがコンビニから、過激なマンガを買ってきたので見せてもらった。こういうのが趣味らしい。
たしかにちょっと興奮した。でも、実際に女の子にこんなことをしたいと思わない。
やっぱり、お互いにしたいと思っていることをお互いにするのが〈愛〉だと思うから。
あれ? これって中二病?
「禁止、規制すべき〈表現〉というのは、あらかじめ規定することはできない。だから、いきおいその条項はあいまいなものになる。だから、〈表現〉する側は、『これはいいのか』『わるいのか』と頭を悩ませる。だって、『いけない』を判断するのは、行政の側なんだから。で、作家が最後に出す結論は『やばそうだからやめておこう』だ」
ぼくは先生の話を聞いて、吉良吉影のスタンド能力〈バイツァ・ダスト〉(負けて死ね)[注]を思い出した。
描いてもだめ。しゃべってもだめ。あらゆる表現が抹殺されてしまう。しかも、そのことに誰も気がつかない。
作家が表現を自主規制し、その作品(描写)が世に出なければ、そもそも過激なシーンがあったかもしれないということさえ、誰も知ることはない。
なんだか息苦しい。部屋の壁がどんどんせまって、押しつぶされそうな気がする。
ぼくたちは大人たちによって、いろいろなものを禁止されている。
タバコもダメ。お酒もダメ。
いかがわしいマンガやアニメもダメ。
これが「育成」。けっして「抑制」ではない、ってことか。
まっすぐな人間になるように。けっして曲がらないように。
まっすぐな人間になることがよいのかどうか。僕にはわからない。
人生は曲がってもいいのではないか。
そんなことを最近は考えるようになった。
[注]荒木飛呂彦・著『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する殺人鬼が持っている特殊能力。言葉や文字などで正体をバラそうとすると、その者を爆死させたうえで、時間を逆行させて、その行為をなかったことにしてしまう。
※この文章は元・未成年のオトナが高校生の気持ちになって綴ったものです。一部にフィクションが含まれます。
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