まだまだお正月気分が抜けないので引き続き「戦争と平和」について考えてみた

今年は、仕事始めの1日目から雑誌の校正作業というハードな幕開けでしたが、喉元過ぎれば三連休ということで、まだまだお正月気分が抜けません。

といったわけで、引き続き今日も「戦争と平和」について考えてみます。

1日目に、自分や他人の幸福を守るという〈目的〉を実現するための〈手段〉として日本国憲法が使えそうだ、といった意味のことを書きました。

また、日本国憲法には第9条しかないわけではない、ということも述べました。

なので、今回は憲法改正について定めた第96条について考えてみます。

憲法が自分や他人の幸福追求のための道具であるならば、状況に合わせてカスタマイズしたり、バージョンアップしたりするのは合理的な方法といえます。第96条はそのための条項ということになります。

ところが、実際に改正のための条件をクリアするのはかなり大変です。つまり、日本国憲法では簡単に改正できないような条項になっているわけです。 なぜなのでしょうか。

この点を考えるために、『カイジ』(福本信行:著/講談社)を参考にしてみましょう。

長期連載のマンガですが、ここでは「欲望の沼」編を取り上げます。

グータラ人間の主人公・カイジは、多額の借金の返済ができず、闇金融の組織に拉致され、地下の強制労働施設に送られてしまいます。

『カイジ』

▲ここで働いた賃金が借金の返済にあてられるわけです。

ここでは毎月の給料として9万1000ペリカが支払われます(ペリカはこの施設のみで通用する通貨で、1ペリカは0.1円)。

『カイジ』

▲1日あたり350円です。

過酷な労働環境、低賃金の職場ですから、当然カイジはここから脱出することを夢見ます。

カイジは、「勤労奨励オプション」として設定されている「1日外出券」を取得することを考えます。この券の入手には50万ペリカが必要です。

ところで、この施設では、通常の食事(質素なものですが)のほかに、ビールやお菓子を楽しむ時間が設けられています。これらは有料で提供されています。

『カイジ』

▲缶ビール350miは5000ペリカ(500円)、焼き鳥(レンジでチンする)は7000ペリカ(700円)、柿ピー(小袋)500ペリカ(50円)。ようするにぼったくりです。

食べることぐらいしか娯楽のないこの施設では、酒やつまみはとても魅力的な存在です。 当然のようにカイジも、この誘惑に負けてしまいます。

『カイジ』

▲カイジの様子を見ていた班長(ここでは労働者を班で管理しているのです)は「底の底に転がり落ちる最初の一歩」と評しています(というより、班長にはカイジを陥れる意図があったのですが)。

結局、カイジは1日で4万1000を散財してしまいます。

1か月約9万の給料で50万の「1日外出券」を手に入れるには6×9=54で6か月必要です。 6か月間にもらう給料のうち4万は他の用途に使えますが、カイジはすでに約4万を消費していますから、猶予はほとんどゼロになってしまっている、という計算になります。

つまり、6か月で4万ペリカしか使えないというのは、元々の計画に無理があった、とカイジは考えます。 だとすると、7か月で50万貯めるというのが、現実に見合った計画ではないか、というのです。

『カイジ』

▲カイジは論理的に思考していると思っていますが、「典型的ダメ人間のダメ回路」であるわけです。

さて、ここからどんなことがわかるでしょうか。

ある〈目的〉を達成するための〈手段〉としての法やきまりを、現実の状況に合わせていたずらに変えてはいけない、ということです。

〈目的〉を変更したら、それに応じて〈手段〉を変えるのは当然ですが、〈手段〉のほうに修正を加えたために、意図せずに〈目的〉が変わってしまうことがあるのです。

カイジのケースでは、「6か月で50万貯める」という計画を「7か月で50万貯める」と修正した時点で、知らず知らずのうちに、〈目的〉が「早急な一日外出券の入手」から「娯楽の享受(および一日外出券の入手)」に変更されてしまいました。

「早急な一日外出券の入手」という〈目的〉を掲げている以上は、何が何でも6か月で50万貯めなければならなかったのです。

乗りかかった船で、別のたとえ話を考えてみます。

ある愛煙家がたばこ代の値上げを機に節煙することにしました。 それまで1日に1箱分吸っていたのですが、「1日3本」にするという決まりを作ったのです。

〈目的〉は「たばこ代の節約」、〈手段〉は「たばこを吸うのは1日3本だけにする」です。 1か月ほど経って振り返ってみると、1日3本で済んでいる日もあるのですが、やはり1日1箱以上吸っている日がほとんどになっているのが〈現実〉でした。

考えてみると、1日3本というのは、相当に無理のある計画です。仕事のストレスを解消するためにはどうしてもたばこは欠かせませんし、同僚と飲みにいけば自分だけ吸わないということができません(同僚もヘビースモーカーなので)。

やはり、1日1箱というのが現実的な線ではないか(もちろん1箱以上吸わないようにする)。「1日3本」というのはあくまで理想にすぎないのではないか。

ということで、当初の「1日3本」を「1日1箱」に修正することにしました。

しかし、これでは「1日1箱」という〈手段〉は実行できそうですが、「お金の節約」という〈目的〉は達成されません。

たしかに「1日3本」という決まりは、現実の状況に対応できていません。 しかし「たばこ代の節約」のためには、どんなことがあろうと「1日3本」を守らなければならないのです。

日本国憲法を改正するかどうかを考える際は、日本国憲法が「自分たちの幸福追求」という〈目的〉を実現するための〈手段〉になり得るかがどうかが判断基準です。 この点を踏まえずに、現実の状況に合わせて憲法を修正すれば、現実が抱える問題が放置され、結果的に〈目的〉を達成するための〈手段〉ではなくなってしまうのです。

冒頭で述べたように、法を道具として使っていくためには、カスタマイズやバージョンアップ、修正パッチをあてるような〈可変性〉が必要です。

一方で、現実の状況に左右されない〈安定性〉も不可欠です。

この〈可変性〉と〈安定性〉という相反する要請に応えるために、日本国憲法第96条では「改正手続きを定めつつ、その改正の用件を厳しくする」という方法を採用しているわけです。

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コメント

  1. もう読みました いいですね

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