『自殺サークル』──〈無関係〉という〈関係〉がある[再レビュー]

園子温監督『自殺サークル』は、9年ほど前にレビューを書いたことがあります。先日『ニコニコ動画』で、なんとはなしに見直したので、再度レビューを書いてみます。

冒頭の女子高生54人による集団自殺から始まって、全編にわたり刺激的なシーン(自殺)が展開していきます。

なぜ自殺が連続するのか。背後には人々を自殺に追い込んでいる怪しい集団がいるようだ──などといったサスペンスのような物語展開を見せながら、しかし謎は一切解明されることなく映画は終了します。

この点をもって根本的な欠陥を持った映画である、と批評することも可能でしょう。

〈考えるな。感じるんだ〉という類いの作品なのかもしれません。

ただ一方で、〈人間は考える葦である〉という言葉もあります。

ここは「考えるブログ」でもあり、どうしても自分なりにつじつま合わせをしたくなってしまうのです。

なにより、「駄作である」と切り捨ててしまうにはもったない〈たたずまい〉を持った映画であるのもまた事実。

おそらく監督の意図とは異なるだろうし、同意してくれる人もいないでしょうが、あくまで〈ボクの中の真実〉に近づくためにこの映画を(無理矢理)解釈してみると──。

「あなたは、あなたの〈関係者〉ですか」などのセリフに象徴されるように、この映画には、〈関係〉という言葉が頻発します。

つまり、この映画を読み解くキーワードは〈関係〉なのではないか。それも、じつは〈無関係〉という〈関係〉なのではないか。

「全編にわたり刺激的なシーン(自殺)が展開していきます」が、〈自殺〉は互いに自己完結したものであり関連性はない──〈無関係〉という解釈が成り立ちます。

年間の自殺者が3万人を越える国では、もやは〈自殺〉は日常茶飯事であり、そこになんらかの〈陰謀〉や〈悪意〉〈作為〉は見出せない──いや、見出そうとするのは愚の骨頂。

この映画のメッセージはそういうことなのではないか、というのがニコニコ動画を見ながら考えたことです。

この解釈は、園子温監督による小説『自殺サークル 完全版』や、それを映画化した『紀子の食卓』をふまえたものではありません。

小説のほうは先日読了しましたが、『紀子の食卓』のほうはこれから鑑賞したいと思っています。

その2作品をとおしてあらためてこの『自殺サークル』を見直してみれば、また違った解釈が可能なのかもしれません。

そのとき、再々レビューを試みたいと思います。

[追記]『紀子の食卓』を観ましたが、謎は深まるばかり。ただ、『紀子の食卓』そのものはとても楽しめました。『自殺サークル』とは「無関係」の独立した作品と思ったほうが良いのかも……(いちおう集団飛び込みのシーンも出てはきますが)。

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