「トリビアの泉」(テレビ)──「トリビアの泉」に漂う“違和感”の正体

個人的にも深夜時代から楽しく拝見しており、ゴールデンタイムに移ってからも、録画して見させてもらっている。つまり、私にとっては今でも“深夜番組”なのだが、深夜番組らしからぬ、ある種の違和感が最近のこの番組には漂う。

これが「もはや深夜ではないのだから当たり前」と言い切れないところに問題の深さがあるわけだ。

まず、よく指摘されているのが、CMの前後で同じ映像を使っているという点。もちろん、深夜時代にはこんなことはなかった。

次に、字幕の表示。「確認のVTR」で、結論があらかじめ字幕でわかってしまうため、「証言者」の発言が全くの無意味になってしまい、興ざめである。

そして、これが最大の、かつ本質的な問題なのだが、深夜時代に比べ、どうも演出過剰なところが目につくのだ。

バラエティ番組はえてしてそういうものであり、演出じたいは非難に値しないが、ネタの密度の低さを「演出」でカバーしているようなところがある。これでは本末転倒である。

ここに挙げたような点は、いわゆる今の日本の典型的なバラエティ番組の特徴とも言える。なおかつ、新聞の投書欄などで(『トリビアの泉』に限らず)しばしば批判される点である。

投書欄が民意のすべてを代表しているなどと言うつもりはないが、このバラエティ番組の悪しきセオリーをありがたがっている視聴者はほとんどいないのではないか。

制作陣には早く目を覚ましてほしいものである。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


おしらせ

現在は〈ぎゃふん工房の作品レビュー〉gyahunkoubou.comにて更新しています。

こちらの記事もどうぞ

  1. やる前に決めない──ゲームをより楽しむためにレビューを書こう![6]

  2. 【声優学入門】「ルパン三世」新キャスト──山ちゃんが一番違和感があった理由とは?

  3. 『欲望のゆくえ 子どもを性の対象とする人たち』──する側とされる側の「正義」の均衡点はどこにあるか

  4. お正月は暇なので「戦争と平和」について考えてみた──3日目:小林泰三「C 市」

  5. 『コワイ女』(映画)──〈完成度〉は高いが〈満足度〉が低いワケは……

TOP